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プチ・ストレス [その他]

今朝職場に行ったら・・・ボールペンがノックされたまま、もう一本はキャップを取ったまま、赤いボールペンはいつもと違う引き出しに入ってる、電卓は引き出しの中でひっくり返ってる、スタンプは向きが違う、ハサミは筆記具と同じところに入ってる、極めつけはいろいろな部屋の鍵が引き出しの中で全部ゴッチャになっている・・・。

あぁ~~~!物の置き場所がもう習慣になっているので、手を伸ばしていつものところに無い!というのはプチッときます。

共有のデスクと文房具を交代で使っているのですが、今まではこんなことはなかった・・・。
どうやら新しくシフトを組むようになった人がわりと無頓着なようです・・・。

片付けベタで大雑把な私ですが、意外にこんな細かいところが気になったのか・・・と新しい発見でもあります。
家では夫からよく、使い終わったものはすぐ元に戻せば散らからないんだ!と言われます。
確かにその通り・・・なんですが、家事の合間だとその数秒が惜しかったりもします。

それなのになぜこれが気になるのか・・・。
私の前にデスクを使った彼女も、元に戻す数秒が惜しかったのか。

ボールペンを使おうとしていつもどおりノックしたらペン先が引っ込んだ・・・、赤ペンを使おうとしたらない、探してみると違う引き出しに・・・、ハンコを押そうとしたら向きが違うから逆さに押しそうになって焦った・・・、鍵を使おうとしたら、私なりに分類しておいたものがグチャグチャ・・・。

すべて私がいつも通りに動こうとしても、何かで引っかかってしまい、一手間余計にかかっています。
つまり私のペースが守れない、動きにくいのです。

おそらく彼女は無頓着なだけかもしれず、彼女なりの動きやすさもあるのでしょう。
もしかしたら私の収納や分類は彼女とは違い、あわないのかもしれません。

同時に同じところで仕事をしていれば軽く注意もできますが、交代制で直接顔をあわせることが少ないと、上手く伝えることも難しくなります。

人と一緒に何かをしたり、共有するということはとても難しいものです。
私は自分のペース、動きやすさにとてもこだわる人間だということもよくわかりました。

これからはマイ・ツールで作業することを考えています。

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試練 [その他]

人生では時として、突然、物凄い試練に突き当たることがあります。
自分だけがなぜ?と思うような試練が思いもかけないところから、それも手を変え品を変え、次々に襲いかかる。
それを乗り越えるところには人知を超えるものが働いていると考えざるをえない。

                     

それほどの試練に直面したとき、なぜ私が…と理由を探ることも、あんなことがなければ…と後ろを振り返ることも、役には立ちません。
時には背負った十字架の重みに押しつぶされそうになりながらも、諦めることも、卑屈になることも、投げ出すこともなく、与えられた試練にしっかりと向き合い、できることを着実にこなす、そんなときに人知を超えた力は働き、大きな成長につながるような気がします。

逃げることもできない、自分の都合だけでは考えられない、どうしても立ち向かわなければならない、そういった試練の多い人生を送る人もいます。

聖書には的確な言葉があります。

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(ルカ12章48節)  参考「ノブレス・オブリージュ

同時に、
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10章13節)

今日のこの文は、読まれることはないでしょうが、今大きな試練に向き合っているあなたに、祈りとともに捧げます。

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信じる・・・ [その他]

私たちは様々なものを信じて生きています。
目に見えるものしか信じなかったり、自分で確認したことしか信じなかったり、あるいは愛や友情や信頼関係といった目に見えないものを信じたり、そして、お金を信じたり・・・。
もちろん信仰もそのひとつでしょう。

最近、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」『』(香山リカ著 幻冬舎新書)という本を読みました。
昨今の「スピリチュアル・ブーム」を批判した本です。
カトリックの信仰を持つ者として言えば、「スピリチュアル」でくくられた最近のブームは宗教とも違う、独特の世界だと思います。

信仰とは違う、責任のない軽いノリのようと言ったらいいでしょうか・・・。

私自身は「魂」を信じるとはいえ、マスコミに取り上げられたり、書店に本が並んでいたり、街で話題になったりする「アノ」世界をどう思うかといわれると、う~ん、と、それこそビミョーな反応しかできません。

ただ、確かだと思うのは、信じている人には見え、感じられるのではないかということ・・・。
脳の働きもあるかもしれませんが、その人にとっては確かに存在するのだと思います。
だから一概に「そんなことないよ!」と、私は否定できないし、批判もできないのです。

それと、「スピリチュアル」な話題に共通な、愛や平和や人との絆などは大切にすべきものです。
ですからその部分に傾いてゆくのはいいことだと思います。

同書の中に面白い数値も出ていました。
大学生に行なったアンケートの中で、「魂や霊魂があると思うか」という質問に対して、61%もの人が「ある」を選び、「わからない」も28%、「ない」と答えたのはたった10%だったというのです。

DNAの中に・・・という記事で書いたように、日本人はもともと、すべてのものに魂を見、八百万信仰ともいえる、宗教心のある民族だと思います。
この数値にもそれが表れているような気がします。
そしてそれがスピリチュアル・ブームにもつながるのでしょうか・・・。

信じることによって何が見えてくるか、逆に見えなくなってしまうことは何か・・・。
信じることで見えてくるものが、その人にとって幸せをもたらすのであれば、それは良いことでしょう。

新しい年もすぐそこまで来ています。
少しでも平和な世界に近づき、人々が幸せに暮らせることを祈りたいと思います。

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色・いろいろ・・・ [その他]

色と心は深いつながりを持っています。
たとえば成育史との関連・・・育ってくる中で好きになった色、嫌いになった色、 経験と結びついてある色を見ると良い想い出が蘇ったり、反対に嫌なことを思い出したり・・・。

迷彩色やカーキ色を見ると戦争を思い出して嫌、とか、ずっと紺の制服だったから卒業したら鮮やかな色を着たい、あるいは親に押し付けられてきた色だからもう絶対に嫌だ、とか・・・。

あるいは元気になれそうな色(ビタミン・カラー)や、心を落ち着かせてくれる色・・・などなど。

さて、友人に「パーソナル・カラー」なるものを教えてもらいました。
「パーソナル・カラー」はおもにファッション面との関連が強く、人の髪や目の色、肌の色などから、春タイプ・夏タイプ・秋タイプ・冬タイプの4タイプに分けられます。
似合う服の色だけでなく、ルージュの色とか、ヘアスタイル、性格などとも関連があるようです。
詳しいことは長くなってしまうので省きますが、その人の身体がもともと持っている色(髪・肌・瞳)を上手く引き出して、その人をより一層輝かせてくれる色を見つけ、利用する、といったところでしょうか。

日本人の目は黒い、といっても瞳の色が薄めの人や茶系の人、真っ黒な人がいます。
また私は白髪を染めているので茶色メッシュの髪色ですが本来の色で判定。

結果、私は「冬タイプ」でした。青味がかった(赤でも緑でも青味がかった色があります)、意外にもクリアな、結構鮮やかな色が似合うようです。

今までもパステルカラーは甘すぎてなんとなく抵抗があったのですが、あながち間違っていなかったようです。

使い方によって、自分がリラックスしたい時、相手をリラックスさせたい時、勝負に出たいとき(?)などいろいろ使えるようで、奥が深そうです。

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ブログランキング! [その他]

気がついたらいつの間にか10000アクセスを突破していました!
読んでくださる皆様、ありがとうございます!
ブログを始めて1年足らず、遅筆のわりにはありがたい数字です。

ちょうどそんな折、NPO仲間の勧めで「人気blogランキング」というものに登録しました。
仲間のブログ3つはいずれも登録した「福祉部門」で20~50位を保っています。
何百とあるブログの中でこの順位はすごいと思います。

そんなわけで昨夜遅くに登録、一夜明けて少しはランク入りしているかな・・・と開けてみると、新着・上昇中で「144位」でした!
一晩でここまでですからまずまずのスタートでしょうか。
もちろん身内クリックも多いと思いますが・・。

ランク入りすることで読んでくださる方が増え、少しでも明るくイキイキと生きるお手伝いができれば・・・というのが狙いです。
これまでの記事にも半分くらいはランキングのリンクをはりました。
バックナンバーを見てくださる方もクリックしていただけると嬉しいです。

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片方だけのイヤリング [その他]

友人とミュージカルを観に行ってきました。

浜松町にある、某大手劇団の小さな劇場。

休憩時間に隣の友人と話していて、友人のほうに顔を向けた瞬間、左のイヤリングが飛びました。

あっ、と思って落ちた方を見ても床にはない・・・。
よく見ると友人と私の間の肘掛の後ろの方、背もたれとの間辺りに見えます。
指を差し入れると、アッ・・・!
イヤリングが引っかかっていたのは支柱の上の方、指が入らないようなところで、奥に向けて空洞に・・・。
なんとか指が触れた・・・と思ったら、アッ・・・!
さらに空洞の中を落ちていったようで、視界から消え去りました。
外からは全く見えません。

友人は「あとで劇場の人に言った方がいいよ」
私は「え~っ、座席はずさなきゃ絶対取れないところだし、3組1,000円のだからいいよ~。終わったらもう一度見てみるけど・・・」

そして終演・・・。

もう一度見ますがやはり支柱の中に入ってしまったようで、外からは全く見えず、取り出すには床のネジをはずし、座席を分解するしかなさそうです。
それにしてもなんでそんなところに?!と思うほど微妙なところに入ってしまいました・・・。
反対隣に座っていた品の良い見知らぬ老紳士も一緒になって心配してくださり、劇場の人に声をかけかねない様子だったので、丁重にお礼を言い、友人もかなり強引に薦めるので係の女性に話しました。

安物だから(だったら黙って帰れよ!と突っ込まれそうですが・・・)ほんとにいいです、と言いながら問われるままに一応電話番号を伝え、帰宅しました。

家に着いて1時間ほどした頃、1本の電話・・・。
「劇団○○の△△劇場ですが・・・先ほどイヤリングを・・・」

なんと!本当に座席をはずして見つけてくれたのです!
すごいプロ意識だと思いました。

「わざわざ座席をはずしてくださったんですよね・・・どなたが?」
「あ、劇場の整備の者がやりましたけど全然大丈夫です・・・」

安物のイヤリングだけど、値段に関係なく気に入っていたので劇場の心遣い、嬉しかったです!(ちなみに3組のうちもう一組も最近どこかで片方なくしてしまった・・・)

さて・・・このときの対応も人様々だと思います。

まず、私一人だったら、気に入ってはいても、3組1,000円のイヤリングのために劇場の人に話したりはしなかったかもしれません。
けれどももし、手が届かなくても見えるところにあったら、伝えたかもしれません。

逆に、そんな安いのだったらあきらめたら?と友人に言われたら・・・天邪鬼が動いたかもしれませんね。

いろいろ考えられます・・・。

そもそもイヤリングを落としたことさえ悟られないようにしようとする人・・・。
大騒ぎして周り中巻き込む人・・・。
今すぐ探して欲しいという人・・・。
友人の勧めをきっぱり断って、イヤリングはそのままで帰る人・・・。

もしかすると私の対応は一番優柔不断で受身的かもしれません。

友人の勧めを断るでもなく劇場の人に話し、安物だからいいと言いながらも、問われるままに電話番号を告げる・・・。
その裏には、まさか座席をはずしてまで探してはくれないだろう・・・という気持ちがあったことも確かです。

それだけに、たった一つのイヤリングのために座席を床からはずしてくれた劇場の人の心意気には感動し、同時に、見つけたときの「あった~ッ!」という気持ちがわかるような気がしました。
もっとも、見つけた人は「こんな安物のために大騒ぎしたのか・・・」とあきれたかもしれませんが・・・。

私としては友人の薦めに従って良かった、という思いと少々強引な友人への感謝、劇場のスタッフの徹底したプロ意識に対する共感と感動とで、とても爽やかな気持ちになりました。

それと・・・隣の老紳士、ミュージカルをホントに楽しんでいて素敵でした・・・。

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 [その他]

昨晩ある番組に目が留まりました。
醜い(と自分では思っている)女性が、ヘアスタイルやメイク、ファッション、時には整形手術も加えて美しくなり、人生に前向きになる、という番組です。

変身してゆくプロセスももちろん興味深いのですが、商売柄(?)最も惹きつけられるのはその女性の表情や雰囲気の変化です。

もちろんテレビ番組ですから、演出もかなりあるでしょうし、普通の人では不可能なお金のかけ方もできるでしょう。

しかし、それを差し引き、さらに演技である場合も考慮に入れても、変身前の無表情で暗い沈んだ話し方、雰囲気から、変身後の顔をあげて口角の上がった素敵な笑顔、明るい声への変化には目を見張るものがあり、私たちの普段の表情にもとても参考になります。

「ブス」という言葉は、植物のトリカブトから採った「ブス」という毒を摂取すると無表情になる、というところからきていると聞いたことがあります。
つまり、無表情であるのは美しくないことと思われたのです。

番組に登場する女性達は、普通にどこにでもいそうな方も多く、なぜそこまで卑屈に?と思うこともあります。
その悩みは顔の美醜というよりは自己評価の低さであったり、自信の無さからであることも多いように感じます。
その自信の無さがさらに暗い表情に・・・と悪循環を招いているのかもしれません。

それが美しくなって自信ができ、もちろん番組用の表情指導などもあるかもしれませんが、輝くような表情になるのでしょう。

よく、決して美人ではないけれど笑顔が素敵な人、雰囲気が素敵な人がいます。
また、年齢を重ね、いわゆる「いい顔」をしている人もいます。
逆に美しいけれど何かちょっと・・・という人もいます。

やはり、内面は良くも悪くも顔や表情に表れるのかもしれませんね。

私も「いい顔」を目指したいと思いますが、表情筋が衰える年代になってきていますので、笑顔には気をつけるようにしましょう。
同年代の友人と写真を撮るとき、「口角を上げて!」が合言葉になっています。
精一杯笑顔を作ったつもりでも、写真ができあがると意外に笑顔になっていなかったりするとショックですから・・・。

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さて一休み・・・ [その他]

月曜日から一昨日まで3日間、師匠が主催する研究所のワークショップに行ってきました。

心地よい雰囲気の中で、適度な緊張感とリラックス。
初対面の人でも数時間のうちにうちとけ、かといって踏み込みすぎない距離感。

海辺に程近い閑静な宿で、新聞もテレビも見ずに、ひたすら脳細胞を働かせ、心を遊ばせ、精神に栄養を行き渡らせる3日間でした。

自分の成育史を振り返り、普段の井戸端会議では出ない話題を語り、非日常の世界に心を委ねるのは最高の贅沢です。

そして夕食時の冷えたビール・・・。

ここで蓄えたエネルギーを日常に戻った時にどう活かすか・・・課題です。

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難しい関係 [その他]

親子という関係は一番近いくせに、結構難しいものを含んでいることがあります。

息子や娘が、忘れ物をしていないか、寝冷えをしないか、と心配している親子の話をよく聞いたら60才を過ぎた子(?)と90才近い親だった、などというケースがよくあります。

それほどに親というものは、子どもが何才になっても小さい頃のままの子どもに対するのと同じ気持ちであったりするわけです。
それは本当にありがたい親の愛情でもあるのですが。

ところが、特に母と娘の場合、難しい状況になってしまうことがあります。
これは、母と娘が同じ女性同士であることや、母親というのは自分が産んだ娘をまるで自分の分身のように見てしまうことがあるためかもしれません。

最近「一卵性母子」などという言葉も聞きますが、母と娘が同じような考え方、同じような趣味・好みである場合は仲良し親子でよいでかもしれません。
しかし、娘が自我を確立し、母親と違う道に踏み出そうとした時、上手に子離れ・親離れできないと悲劇になってしまいます。
娘を自分の枠組みでしか捉えられない母親は、娘というものは自分と同じに感じ、考えるものと思いがちです。
ですから、自分と違う考えをもった娘や、自分が望むのとは違う方向に行こうとする娘を受け容れられず、なんとか自分の手元につなぎとめようとします。

もちろん母親の方は心からの愛情、そう、飲み込まんばかりの愛情からなのですが。
娘を自分の中に取り込み、自分を愛する延長で娘を愛する、グレート・マザーの愛情です。

娘の自我がしっかりして、エネルギーも十分あれば、母親の鎖を断ち切って大きく羽ばたくこともできるでしょう。

けれども、良い子でいなければ・・・という思いが強くて、母親から離れて自由になることや、母親の望みとは違う方向に進むことに罪悪感を感じてしまったりすると、たとえ自分の考えを通しても、常に、これで良いのだろうか、という思いにとらわれたり、母親の存在を頭の片隅に感じていたりするようになってしまいます。

頭の中に取り込んでしまった母親からのメッセージを常に感じてしまうのです。
そしてこれではいけない、と気づいたとき、遅咲きの、時には30才代、40才代で反抗期を迎えたりもするのです。
でも遅咲きでも反抗できれば良いほうです。
母親に対しては良い子でありたい、と思い続けることは辛いことです。

老いに差し掛かった母親と対峙して悲しい思いをさせる必要はないでしょうが、自分の心と向き合って見つめなおすことは大切でしょう。

逃げ続けていては成長できません。

・・・というのは今までの、そしてこれからの自戒と、娘達に同じ轍を踏ませないように、幸せになってほしいという思いを込めてです。

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記憶を書き換える・・・そして赦し [その他]

<続き>

娘の結婚に猛反対したことなどまるでなかったかのように、始めから大賛成だった、と意気揚々と語る母親・・・。

この話を聞いたある人は、「娘夫婦のはたらきで母親が変われた。素晴らしい、嬉しいこと」と言ってくれました。
確かに母親は娘婿を頼りにするほど変わったのですから、喜ばしいことです。

またある人は、「人間は日々変化し、情報(永遠に残ってしまう言葉)は変わらない(養老孟司『バカの壁』参照)」ということを教えてくれました。
確かにそうです。母は変化し、猛反対した言葉(情報)だけが娘の中で変化していなかったのです。止まっていたのは娘の方かもしれません。

結婚に猛反対したことも、年月を経るうちに変化して結婚に大賛成だった言うことも、母親の中ではどちらも真実です。
母親にとっての「今、ここで」は、娘の結婚は大賛成して間違いなかったものなのでしょう。
それは確かに嬉しいことです。

・・・でも。
娘の複雑な思いは、あの猛反対をなかったことにせず、認めてほしかったということかもしれません。
「あんなに反対したこともあったけど、あなたの選択は正しかった」と言ってほしかったのです。
ただ掌を返したように、まるでなかったことのようにするのではなく・・・。(でもそれは娘の理想、娘の枠組み・・・)

同時に気づいたことは、娘はずっと、20年以上前の母親を相手にしていたのかもしれない、ということでした。
夫を頼りにしてくれるようになった変化を受け容れられず、かつての猛反対した母親に反抗し続けていたのかもしれません。

「赦す」ということは、忘れることや、なかったことにするのとは違います。
母親は娘の結婚を許した時点で、自分の猛反対を、言葉も行動もなかったことにしたのかもしれません・・・あるいは本当は覚えているけれど今更あやまることもできず、心の奥にとどめたまま今まで来てしまったのかもしれません。
もしも娘がそのことを咎めたら、「まだそんなことを・・・。そんな昔のことは忘れたわ」と言うことでしょう。

でも娘にとっては浴びせられた言葉を忘れることはできず、あの猛反対をなかったことにはできないのです。
それを超えて母親の変化を受け容れ、当時の母親を赦すには、もう少し娘の成長が必要かもしれません。

・・・おわかりかもしれませんが、娘は私・・・母親は私の母です。
別に日々いがみ合いながら過ごしているわけではなく、一応仲良くやっています。

それでも、心の奥底にどうしても崩せない壁を前にしながら、何十年も過ごしています。
赦すことにはとても勇気とエネルギーと成長が必要・・・そして赦さないでい続けることは赦すことよりも辛く、ストレスを抱え続けること・・・。

その壁を築いたのはたぶん私の方。だから壁を崩すのも自分・・・。
それがままならぬところに人間の複雑さと、「母と娘」の難しさ・・・。


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記憶を書き換える [その他]

少し長くなるので、2日に渡って書きます。

あるところに一人の母親がいました。
一人娘をそれは大事にしていました。
あるとき、娘が結婚の話を持ってきました。相手は娘の同級生、母親も顔を知っている男性でした。
ところが、母親は猛反対、気も狂わんばかりに娘と応酬する日々が続きました。
父親は賛成とも反対ともはっきり示さず・・・娘はとにかく母親の賛成を取り付けることだけを考えていました。

やがて、どのような経過を経てかは定かではありませんが、ともかく結婚は許されました。
が、母親は今度は自分の結婚式を挙げるかのごとく、式場選びから引き出物選び、招待者や席次決めと采配を振るい始めました。

そんなこんなで年月も流れ、娘もあと何年かで銀婚式を迎えるような年になりました。
その間父親は亡くなり、母親は今では娘婿を娘以上に頼りにするようになっていました。

娘はといえば、あんなに猛反対した母親が夫を頼りにしてくれるのは喜ばしいことではあっても、20年以上経ってもかつて結婚に反対して浴びせられた一言一句を忘れられるわけはなく、時に複雑な思いでいました。

そんなある日、娘夫婦と友人夫婦も交えた場で、アルコールも入って気分が良くなった母親の一言に娘は愕然としました。

「この人たち(娘夫婦)が結婚するって言ってきた時、おばあちゃま(母の母)に相談したら、『それはいいじゃない、ぜひ結婚させなさい』って。私はもう始めから大賛成だったからこれは良かったと思って・・・」

あの猛反対したのは一体誰!? いろいろな言葉を浴びせてきたのは誰だったの?
娘は混乱しました。

猛反対したことを忘れてしまったのだろうか?
すがりつかんばかりにして娘を結婚させまいとした、あの行動、あの言葉はなかったことにされたのだろうか?
自分が反対したことはなかったことにして、結婚が決まってからのことだけを記憶にしているのだろうか?

どうしてこんなことが言えるのだろうか・・・?
                                   <続く>

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多謝!5000アクセス! [その他]

昨日の記事をアップしてまもなく、アクセス数がのべ5000を突破しました。

いつも読んでくださる皆様、コメントをくださる皆様、本当にありがとうございます!

このブログを始めて半年ちょっと、こんなに多くの方が読んでくださるとは正直思いませんでした。
私は別の有名なコミュニケーション・サイトにもページを持っていますが(ミカエルというニック・ネームで開いています)、そちらには日常のちょっとしたできごとや、プライベートなことも少し載せたりしています。

そこと区別して、もっとテーマ性を持たせ、日常からも少しはなれたことを書こう、そして私がこれまで学んできたことや今も学び続けていることをまとめ、少しずつでも発信してみたい、という思いでこのブログを始めたわけです。
そこにはもうひとつ、コミュニケーション・サイトという枠から出て、不特定多数の人が対象のブログになった場合、しかも、このような内容で書き続けたとき、どれくらいの人が読んでくれるのだろう、という実験的意味あいもありました。

もちろんのべアクセス数ですから、実際にどのくらいの方が読んでくださっているのかはわかりませんが、私の予想よりはるかに多くのアクセスがあったのは嬉しい驚きです。

私の性格から、毎日書き続けることはできませんが、それでも見捨てずに読んでくださる方にも本当に感謝です。

こんな調子でこれからも細々と続けていきますので、どうぞおつきあいください。
これからもよろしくお願いいたします。

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タレント [その他]

「タレント」・・・元々は聖書の中のたとえ話からきている言葉で、生来の才能や、資質などのことを言います。
芸能界のタレントなども、そういった意味でエンターテインメントの才能を持った人たちなので「タレント」という言葉がふさわしいでしょう。

音楽のタレント、絵を描くタレント、ダンスのタレント、スポーツのタレント・・・さまざまなタレントがありますが、華々しい活躍をするだけがタレントではありません。
当然のことながら、有名になれるほどの素晴らしいタレントはすべての人に与えられているわけではなく、むしろほとんどの人に与えられているのはもっと地味で、目立たないものでしょう。

唄が上手と言ってもカラオケで誉められる程度、人よりちょっと絵が上手くてもそのくらいならもっと上手い人はいる、プロを目指して頑張っているけれど一向に芽が出ない・・・。
それどころか、唄は下手、絵も下手、運動も苦手、何をやっても下手、という人はたくさんいます。

そんな人も、もしかすると、人をほっとさせる笑顔の持ち主だったり、コツコツと粘り強く仕事をする根気強さがあったり、人の話を聴くのが上手だったり、いるだけで場が和むような雰囲気を持っていたりするかもしれません。

人にはそれぞれ違ったさまざまなタレントが備わっていますが、それを見つけ出したり、気づいたりするのはとても難しいことです。
やりたいことと、備わっているタレントが違っているかもしれません。
どんなに努力してもそれ以上伸びない、というときは別なタレントに気づいていないのかもしれません。

でも、もしも持っているタレントを見つけることができたら、それを精一杯伸ばし、活用することで自分自身も、周りの人も、活き活きとすることができるような気がします。

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平等・・・ [その他]

ある人がこんなことをいいました。

「人間は皆、平等ではありません」

ちょっとドキッとする言葉ですが、その後を聞いてとても納得がいきました。

「もし、人間がすべて同じように優れた能力や理解力を持ち、平等になんでもできたら、お互いに助け合ったり支えあったりする必要がなくなってしまいます。できない人がいるから、できる人が手助けをしたり、思いやりをもって接したり、またできる人に頼ったり、ということができるのです」

不平等にもこんな意味があるんだ、と改めて気づかされた話でした。
もっとも、「天はニ物を与えず」という言葉と裏腹に美貌も才能も併せ持った人を見ると、うらやましいような、ちょっと妬ましいような気持ちになることも事実ですが・・・。

さてこのような不平等はさておき、人間としての価値、いのちの価値はすべての人が平等だと思います。
親と子であっても、雇用者と従業員であっても、お客と店員であっても、人間としては平等です。
もちろん年長者を敬うことや、立場の違う相手を尊重することは大切ですし、そのことはまた別です。

それなのに、親は子よりもえらいと思いがちで、上から物を言うような態度や、友人相手だったら使うだろうかというような態度言葉で頭ごなしに叱りつけたりすることがよくあります。
最近街でもそのような態度で叱る親を見かけることがあります。

また、店員相手に横柄な態度で注文したり、文句を言ったりするお客もよく見かけます。
端で見ていても決して気分の良いものではありません。

親子にしても、お客と店員にしても、言い返しにくい立場的に弱い相手に対して強い態度で出るのは、その人のコンプレックスの裏返しであることが多いものです。
「攻撃は最大の防御なり」とはよく聞く言葉ですが、まさにその通り、偉そうに見下した態度をとることで何かを必死に守っているのでしょう。

人間の平等性に気づき、相手の人の中に自分と同じいのちの価値を見たら、偉そうな態度はとれないはずです。
そのためには、おかれた立場や関係性を抜きにして相手よりも上でもなく下でもない、自分は自分であることを受け容れていなければならないかもしれません。

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気持ちを切り替えて・・・ [その他]

さて、ジョイの死から早くも10日が過ぎました。

この間、いろいろな方からご心配いただいたり、伝え聞いた友人が思いがけないメールをくれたり、同じようにペットを亡くした友人と悲しみを分ち合ったり・・・人との繋がりを感じた10日間でした。

何よりも、ブログやほかのサイトでしかお話したことのない方から、心配や励ましの言葉をいただいたのも嬉しいことでした。

cocoa051さんにもご心配おかけしました。
もう大丈夫ですよ。

こうしたあたたかい繋がりも、ジョイが残してくれた宝物の一つだと思います。
ジョイは家族みんなにたくさんの宝物を残していってくれました。
それは想い出と共に、私たちの中にずっとあり続けます。

宝物を持って、子ども達もきっと一歩前に進んだと思います。

このブログも、新たな気持ちでまた書き始めます(かなり遅筆ですが・・・)。
またよろしくお願いいたします。

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