記憶を書き換える・・・そして赦し [その他]
<続き>
娘の結婚に猛反対したことなどまるでなかったかのように、始めから大賛成だった、と意気揚々と語る母親・・・。
この話を聞いたある人は、「娘夫婦のはたらきで母親が変われた。素晴らしい、嬉しいこと」と言ってくれました。
確かに母親は娘婿を頼りにするほど変わったのですから、喜ばしいことです。
またある人は、「人間は日々変化し、情報(永遠に残ってしまう言葉)は変わらない(養老孟司『バカの壁』参照)」ということを教えてくれました。
確かにそうです。母は変化し、猛反対した言葉(情報)だけが娘の中で変化していなかったのです。止まっていたのは娘の方かもしれません。
結婚に猛反対したことも、年月を経るうちに変化して結婚に大賛成だった言うことも、母親の中ではどちらも真実です。
母親にとっての「今、ここで」は、娘の結婚は大賛成して間違いなかったものなのでしょう。
それは確かに嬉しいことです。
・・・でも。
娘の複雑な思いは、あの猛反対をなかったことにせず、認めてほしかったということかもしれません。
「あんなに反対したこともあったけど、あなたの選択は正しかった」と言ってほしかったのです。
ただ掌を返したように、まるでなかったことのようにするのではなく・・・。(でもそれは娘の理想、娘の枠組み・・・)
同時に気づいたことは、娘はずっと、20年以上前の母親を相手にしていたのかもしれない、ということでした。
夫を頼りにしてくれるようになった変化を受け容れられず、かつての猛反対した母親に反抗し続けていたのかもしれません。
「赦す」ということは、忘れることや、なかったことにするのとは違います。
母親は娘の結婚を許した時点で、自分の猛反対を、言葉も行動もなかったことにしたのかもしれません・・・あるいは本当は覚えているけれど今更あやまることもできず、心の奥にとどめたまま今まで来てしまったのかもしれません。
もしも娘がそのことを咎めたら、「まだそんなことを・・・。そんな昔のことは忘れたわ」と言うことでしょう。
でも娘にとっては浴びせられた言葉を忘れることはできず、あの猛反対をなかったことにはできないのです。
それを超えて母親の変化を受け容れ、当時の母親を赦すには、もう少し娘の成長が必要かもしれません。
・・・おわかりかもしれませんが、娘は私・・・母親は私の母です。
別に日々いがみ合いながら過ごしているわけではなく、一応仲良くやっています。
それでも、心の奥底にどうしても崩せない壁を前にしながら、何十年も過ごしています。
赦すことにはとても勇気とエネルギーと成長が必要・・・そして赦さないでい続けることは赦すことよりも辛く、ストレスを抱え続けること・・・。
その壁を築いたのはたぶん私の方。だから壁を崩すのも自分・・・。
それがままならぬところに人間の複雑さと、「母と娘」の難しさ・・・。
とても複雑に理解し、複雑に考えてしまいました。考えれば考えるほど分からなくなりました。いまふたたび読み返してみて思いました。お母さんの記憶はとくに変じゃなくて、普通なのではないか。つまり結婚に賛成した時点、そこが出発なのであって、反対したことは完全に記憶されないままに時間が経過しただけなのでないでしょうか。もちろん娘の記憶は違います。したがって二人の間に大きな差異が生じたのは、ある意味当然なのでしょう。そんなふうに理解できました。
by (2006-08-01 16:57)
cocoa051さん、ありがとうございます。
そうなんです。おっしゃるとおり、母にとってはおそらく賛成した時が出発点なんだと思います。そしてお互い自分が感じているのが自分の世界なんですよね・・・。
by michaela (2006-08-01 21:29)