よく生きる・・・ [総合]
カリール・ジブランという人の『預言者』という本に収められている、文章です。
この『預言者』を最近、生命科学者の柳澤桂子さんが『よく生きる智慧』(小学館)として新訳を出されました。
柳澤桂子さんは、ご自身の壮絶な闘病生活の中から宗教を超えた哲学的思想を深め、生命とは、生きるとは、ということを問い続けていらっしゃいます。
将来を嘱望される第一線の生命科学者としての研究生活を病から断念し、そこから見えてきたものを通して新たな世界に踏み込んでいった柳澤さんの生き方、考え方は尊敬に価すると思います。
私自身も若い頃は理系の端くれでしたから、科学と、宗教や哲学など対極にありそうで実は深く繋がっているということに非常に興味があります。
これまでの記事でも何度か触れてきましたが、科学者が研究をきわめていくと神、あるいは Something Great という創造者の存在に行き着くとか、臨死体験や神秘体験などは実は脳の働き・・・ならばなぜそのような体験を脳はする必要があるのか、など興味は尽きません。
すべてのことには意味がある、とよく言われますが、第一線の研究職の道を断たれ、さまざまな苦しみの中からまったく別な道に導かれる 、という柳澤さんの体験を知ると、あらためて人が生きることの不思議さを感じます。
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なぜだ? [総合]
ところがそんな私をものすごく苛立たせる…正確には私の持っている考え方が、その人の行動や思想に反応して、私が苛立つ…人に出会いました。
要領を得ない、くどくどとした説明やメール、(私にとってはどうでもいい)細かいことをまるでビデオにでも記録したかのように、事細かに伝えてくること、一見謙虚で控えめなようなのに傲慢さを感じるような行動をとること…などなど苛立つところはたくさんあります。
このまま接していると、私の中のイヤな人間性を引き出されそうな気分になってきます。
なぜなんだろう、この人の何に私は反応するんだろう…?
人が誰かを嫌うとき、その人の中に自分の嫌な面を見るからだとも言われます。
また自分の中に、相手に対する期待や、こうあるべきという不合理な思い込みがあることも大きな原因です。
忍耐の修行のため、人間的成長のため、そして人間分析力を高めるために遣わされたと思って、しばらく向き合うことにします。
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読み逃げ・踏み逃げ [総合]
「読み逃げばかりでごめんなさい」(http://plaza.rakuten.co.jp/cookiefreak/diary/200810120000/)
mixiに代表されるSNSで特に多いようですが、「読み逃げ失礼」とか「踏み逃げごめんなさい」というコメント。
コメントをつけないのは失礼、という雰囲気・・・。
その中に紹介されていた記事・・・。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/20/news042.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/09/news058.html
“「踏み逃げ」を嫌うのが社会人既婚男性”というのはちょっと意外でした。
その次が専業主婦、というのはなんとなくわかるような気がしますが、私は踏み逃げを嫌うのは若い独身の人たちかと思っていました。
SNSでコメント返しに追われてストレスになる、ということを聞いたことがあったからですが、SNSとの関わり方が今やそれを越えているのかもしれません。
私もだいぶ前に【SNSとストローク】という記事を書いたことがあります。
mixiにはコメントをつけやすくても、ブログにはなかなかコメントがつかないのはどうしてだろう?という疑問から書きました。
コメントを書いていただければ反応がわかって嬉しいものですが、読み逃げだからといって別にどうということはないのですが・・・。
mixiの場合は足跡機能というのがあり、訪問があればコメントがなくても誰が踏んだかわかってしまいます。
私が使っているこのso-netブログには「nice!」という機能があるので、それを足跡のように使うこともできます。
でも意図的に使わないとダメですが・・・。
最近はso-netも含めてブログもSNS的機能を持つようになっているようです。
gooにも足跡機能があり、私もNPOの関係で登録してサイドバーに貼り付けています。
暖かいコメントがあるということは大きなプラスのストロークになりますからとても嬉しいのは当然。
誰が訪問してくれたかわかるだけでも軽いストロークとして嬉しいのは、やはり人間の心理かもしれませんね。
あ、無理にコメントくださらなくてもいいですよ、なくても怒ったりしませんから・・・。
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ゴルフはメンタルなスポーツ? [総合]
夫は仕事柄ゴルフに出かけることが多く、練習よりも実地でこなしてきています(うまいかどうかは知りませんが)。
私の問いに「そうだよ、素質だね」。
曰く、
ゴルフがうまい人は周りを気にせず、唯我独尊の人が多い。
前のグループがもたついていようが、自分のグループが遅れようが気にしない。
一緒にまわっている人のプレーも気にしない。
何を言われようと、周りがどうであろうと、自分のボールだけに集中している。
(この辺が「ゴルフはメンタルなスポーツと言われる所以か・・・)
仕事であれは通用しないと思うけどね・・・とのこと。
だから、例外はあるだろうけど、仕事ができることとゴルフがうまいことは両立しないと思う・・・と。
ゴルフ好きの方、この分析、いかがですか?
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テレビはやっぱり広告媒体 [総合]
実は私はあれには全く興味がなく、ほとんど見ません。
大体テレビというものを信用していないので、どんなにチャリティーを謳おうと、どこからどこまでがシナリオだか・・・という見方をしてしまいます。
そもそも感動の押し売り、押し付けのようで見る気になりません。
とはいえ、そのおかげで時には何億という募金も集まるようですから、それはそれで意味があると思いますが・・・。
さて、最近のテレビ、歌番組を見ればCD発売を控えた歌手、バラエティーやトーク番組を見れば、そうした歌手に加えて映画の公開間近な俳優達が出ずっぱり。
映画番組は、そうした公開される映画に出演している主役が出た過去の映画。
ドラマも同様で、新ドラマのスタート前には主役俳優が出たドラマの再放送。
まさに広告媒体です。
その意味でも、「○○時間テレビ~愛は・・・」として感動をあおり、福祉の広告塔となっている意味は大きいのかもしれませんね。
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体感覚を取り戻す [総合]
どれが良くて、どれが劣っているということではけっしてありません。
たとえば「頭」タイプだからといって必ずしも頭が良いわけではなく、物事に直面した時、感情的になったり、身体が反応したりする前に頭の中で考えるタイプです。
「心」のタイプの人は感情表現が豊かな代わりに、自分の感情に振り回されてしまうことがあるかもしれません。
「身体」タイプの人はすぐ行動に表わしたり、もしかすると、嫌なことがあると身体が反応したり、ということもあるかもしれません。
繰り返しますが、優劣は全くありません。
さて私は「頭」タイプ・・・子どもの頃から「<喜怒哀楽>を出しなさい」と言われ、「もっと嬉しそうにしたら?」なんて言われることや、「怒ったことがないでしょう」などと言われることも数知れず。
でも私だって嬉しい時は嬉しいし、腹が立つことなんてしょっちゅう・・・ただ感情をあまり出さないだけです。
当然身体感覚は盲点です。
もともと運動は得意ではありませんが(これと性格タイプで体感覚が弱いのとは関係あるかわかりませんが・・・)、身体の中から湧き上がるような感覚というものが私にはつかめません。
しかし、心と身体は切り離して考えられない、ということを学ぶようになってから、身体を動かすこと、体感覚を取り戻すことに興味が向いてきました。
そんな中、つい最近、家の近くにヨガ・スタジオを発見。
スケジュール的にも内容的にもなんとか通えそうなので、ちょっと続けてみることにしました。
まずはどんな感じか、いろいろ試して・・・と、先週あたりから初心者向けのリラックス・ヨガ、ハタ・ヨガ、そして今日はシバナンダ・ヨガをやってきました。
すべての元はハタ・ヨガだそうですが、今日のシバナンダ・ヨガは特に呼吸に意識を向けるのが新鮮でした。
しばらく続けて、何がどう変わってくるか・・・ちょっと楽しみになってきました。
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なぜ人を殺してはいけないのか・・・ [総合]
あまりにも根源的で、明確すぎて、いざ突きつけられるとどう理論づけたら良いのか、一瞬戸惑ってしまう問いかもしれません。
ダメなものはダメ。
いのちはひとつしかない大切なもので、奪うことはできないから。
いのちの大切さを教育でもっと説かなければ・・・とか、自分を大切にすることを教えて他人も大切にすることに気づかせなければ、とかいろいろ言われます。
日野原重明先生は朝日新聞、日曜版のコラムで、旧約聖書の「モーセの十戒」を引き合いに出しています。
「汝、殺すなかれ」
理屈も何もない、「殺すなかれ」という一言・・・しかし、十戒にこのことが入っているということは、言葉にして改めて説く必要があるということかもしれません。
理屈ではないけれども、常にいさめ続けなければならない、それが「なぜ人を殺してはいけないのか」ということかもしれません。
数年前、女子高生の援助交際が問題になった頃、ある社会学者が、「なぜ援助交際をしてはいけないのか。誰にも迷惑をかけていないし、自分の身体を自分でどうしようと勝手」という意見に対して「魂が傷つくから」と答えていました。
魂の存在は人によって信じる人、信じない人、あると思いますが、私にとっては非常に腑に落ちた答えでした。
「なぜ人を殺してはいけないのか」・・・これも魂のことから考えると、明確に答えることができるかもしれません。
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言霊(ことだま) [総合]
励まして力を与える言葉もあれば、たった一言で落ち込ませてしまう言葉もある・・・。
えてしてありがちなのは、不用意に吐いた言葉から思わぬ展開になってしまうこと。
人は、自分が発した言葉は忘れがちで、一方言われた言葉は良く覚えていることの方が多いものです。
それに、言った側の気持ちとは別に、受け取った側がその言葉をどう受けとめたかで、意味はまったく変わってきます。
どんなに良かれと思って発した言葉でも、受け取り側がそうとは受けとらなければ、伝わったものはマイナスでしかありません。
だからこそ、一言に思いを込め、相手に伝わる言葉を選びたいと思います・・・。
・・・と最近ある人から発せられた言葉で、大きな不安を呼び起こされた私自身の体験からでした・・・。
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キレる大人たち [総合]
それも40代以上のいわゆる「いい大人」がキレやすいとか。
先日電車に乗ったときのこと、ガラガラでシルバーシートが全部空いていたのですが、次の駅でどっと人が乗り込んできました。
そのうち、シルバーシートの方から女性の大声が聞こえてきました。
もう満員になっているので様子は見えません。
初めは外国の人が携帯ででも話しているのかと思ったのですが、よく聞くと日本語、どうやら「いい若いモンが座ってるんじゃない、立て」というようなことを言っているようです。
執拗に繰り返し、「聞こえないのか!」などと罵声をあびせています。
状況が見えないのでなんとも判断できませんでしたが、みんな引き気味に見ているだけのようでした。
次の駅で降りるとき、どんな人なのか絶対見てやろう、とホームに降りてから窓越しに見ると、濃いサングラスをかけた中年の女性が、前に座った男性の方に身を乗り出すようにしています。
おそらく罵声を浴びせられていたと思われる男性は、シルバーシートに座って顔のまん前に携帯を掲げ、その女性をさえぎるようにして操作しています。
なんだ、どっちもどっちのやり取りだったのかな、と思いながら先を急ぎました。
大声で罵倒していた女性が単に正義感に燃えていたのか、あるいは少し心を病んでいたのかはわかりません。
もし正義感からだったとしたら、男性を注意することがエスカレートして罵倒になった時、自分自身が異質な存在になっていることに気づかない、気の毒な状況だと思います。
キレる大人は、感情だけに走り、周囲が見えなくなっているとも言われます。
それこそ「いい大人」が公衆の面前で大声をあげたり、駅員や店員を殴りつけたりすると、それがまわりからどう見えているか、社会的にもどう見られるか、判断できないわけです。
いわゆる「現実吟味力」がなくなった状態です。
成熟しているはずの大人が、精神面だけとても未熟な状態を残しているとも言えます。
世の中、若者の未熟化が言われますが、もしかすると大人の世界も未熟化しているのかもしれません・・・。
アンチエイジングに走るのは外見と健康面だけにしたいものです。
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身体と心 [総合]
ひょんなことからテルミーなるものを体験してきました。
テルミーとは古くからある民間療法だそうで、ケースに入ったお線香のようなもので身体をなでたりツボを押したりすることで血行や身体全体の流れが良くなり、腰痛など痛いところがある人にはとても効果的だそうです。
私自身は現在のところ冷え性でもないし、腰痛もなく、これといって悪いところはないので30分ほどの体験といった感じでしたが、お灸やマッサージほど直接的でなく、よりマイルド、身体をなでる温かさがとても心地よいものでした。
施術してくれた人によれば、私はあまり滞ったところがないとか…。
どうやら健康体のようです。
施術してもらいながらいろいろ話しましたが、その中で出たのが身体と心はつながっているということ。
心の問題を放っておくと、最後は身体に出てしまいます。
心が受けとめきれなかったり、抑え込んでしまったものは身体に現われることで叫びをあげるのでしょう。
特に無意識に抑えているものがあると、一層身体に出やすいようです。
それから考えると、特に滞りがなく身体的に健康な私は、今のところ心も健康と言えるのかもしれません。
たいして健康に気遣いもせず、食べたいものを食べて飲みたいものを飲み、したいことを好きなようにして・・・結構勝手気ままなように思える生活が健康の元なのかもしれません。
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息が合う [総合]
普段何気なく使っている「息が合う」という言葉。
英語や他の外国語に、同じような意味の言葉があるのかどうかわかりませんが、とても的を射た言葉です。
というのも、セラピーやカウンセリングをする場合、まずクライエントさんとの信頼関係を築く必要がありますが、そのテクニックのひとつとして、文字通り「息を合わせる」ことがあるのです。
早い息遣い、浅い息遣いでも相手の呼吸に合わせて息をしてまずは相手のペースに合わせ、次第にこちらの息遣いのペースを相手に伝えてゆく・・・やがてこちらのペースにあったゆったりした息遣いになればしめたもの。
そうなると息遣いだけでなく気持ちも落ち着いて、心のうちをいろいろと話してくれるようになります。
難しそうに思えるかもしれませんが、これは日常でもあたりまえに繰り返されています。
仲の良いもの同士が話していると、息遣いに限らず、ポーズやペースがなんとなく似ていることに気づきます。
テーブルにひじをついていたり、足を組んでいたり、一人がお茶を飲むともう一人もカップに手を伸ばしたり、こちらが身を乗り出すと相手も身を乗り出したり・・・なんとなく動きがシンクロするものです。
あまりにも違う動きをしながら話しているカップルを見て業界(?)関係者でよく冗談っぽく言うのが、「あのカップルはうまくいってないね」
真偽の程はご想像に任せます・・・。
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好きだよ! [総合]
気になっていたコミックが手に入ったので、読んでいます。
『神の雫』・・・ワインがテーマです。
特にフランスワイン・・・産地や味わいや、ワインの薀蓄も興味深いのですが、主人公の台詞に目がとまりました。
ワイン比べをする中で、ライバルが薦めるワインにひとくさり感想を述べた最後に、
「俺、このワイン、好きですよ!」という場面が何度か登場します。
するとそれまで顔を引きつらせ、必死になっていたライバルの表情がフッと和らぐ・・・。
作者はなかなか良いところに目をつけたと思います。
美味しい、素晴らしい、優れている・・・どれも誉め言葉ですが、発言者の評価を含みます。
ところが「好きだよ」という言葉は、誉め言葉とはちょっと違い、何の評価も含んでいません。
何の評価もせず、丸ごと受けとめたところから発せられるのが、「好きだよ」という言葉です。
たとえ味わいや色にちょっと欠点があって、評価からは外れたとしても、「好きだよ」という言葉ですべて帳消しになるのではないでしょうか。
そんなことを思っていた矢先、別な本でもこの言葉をみつけました。
ある人が子どもの頃、国語の時間に書いた詩が誉められ、廊下に張り出されていた。
すると通りがかったほかの先生が、いろいろ感想を述べたあと、「私、この詩好きだよ!」
このひとことが今でも物を書く原動力になっている、とその人は語っています。
本は、『生きるためのひとこと・・・人は、ことばで生きる』(晴佐久昌英著 女子パウロ会)。
「好きだよ!」という言葉は、究極のプラスのストロークです。
少しくらいだめなところがあっても、失敗が多くても、ドジでも、「好きだよ!」のひとことがあればがんばれる。
丸ごと受け容れているときに出る、「好きだよ!」
本当は大事な人に言えれば一番良いのですが・・・照れくさかったら、家族である犬や猫に言ってみませんか?
そして言ったとき、どんな気持ちがするか・・・。
まずは試してみましょう!
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座禅の効用 [総合]
カトリックの私が座禅の話というのも妙なものですが、全く関係ないわけではありません。
先日、私の父の13回忌が行われました。
私の家は私以外は日本人的仏教徒ですから、法要は禅宗のお坊様にお願いしました。
お経が終わってからお坊様のお話があったのですが、さすが禅宗の、それも布教部のお坊様、座禅について話されました。
曰く、五感は鏡・・・今見え、聞こえ、触れ、嗅ぎ、味わっているものだけを感じている。
しかし、六番目の心だけは鏡になっていない・・・過去を悔やみ、思い煩ったり、未来を不安に思ったりする。
心をとらわれから解放するのが座禅・・・無理に脚を組まなくとも、電車の中でもどこでも、1分でも2分でも、心を解放することができる。
目を閉じ、開いた瞬間に目に入ったものを感じ、今この瞬間に聞こえている鳥の声、木々のそよぐ音に集中し、今感じられる香の香り、花の香りを感じる。
昨日の食事の味を思い出すのではなく、今舌に感じられる口中の舌触りを感じ、今手や足に触れている感覚を感じる。
瞬間瞬間の、五感に感じられるものにひとつずつ集中していると、確かに心はほかの事を考えていません。
何も考えないでいる状態、心が無の状態を作るのは難しいことです。
私など常に頭の中に何かの考えが渦巻いています・・・会話を思い出したり、あるシーンを思い浮かべたり、これからすることの段取りを考えたり、会話をシミュレーションしたり・・・。
でもこのお坊様に聞いた座禅の話はとてもわかりやすく、心を解放する(無にする)役に立ちそうです。
カトリックでも祈りを繰り返し唱えることにより、心を無の状態にできます。
座禅も共通したものがあるな・・・と思いました。
さて、12年前に亡くなった父とは、子どもの頃からほとんどまともな会話をした記憶がありません。
でも今思うと、プラモデルを作る事が趣味で、海外サスペンス物をよく読んでいた父からたくさんのものを受け継いでいる気がします。
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心の距離 [総合]
他人と身体的な距離をおきたいと思う、パーソナルスペースというものがありますが、心にもパーソナルスペースがあると思います。
内気、内向的、消極的などと言われることもあります。
私は人に甘えることがヘタです。
ちょっとしたことを人にお願いできる人や、手伝いを頼める人、屈託なく話せる人を見ると「ほぉ~!」と思います。
別にうらやましくは思いませんが。
相手の立場などを考えると普通は聞かないだろう、というような質問ができる人にもビックリします。
人と接することに緊張するわけではありませんし、人と話すのが嫌いなわけでもありません。
むしろ、人(ヒト、人間)には興味があります。
でも、距離感がよくわかりません・・・どこまで近づいたら良いのだろうか、この人が不快にならないのはどのくらいのところだろう・・・だからあえて踏み込みません。
踏み込みすぎて相手が不快になったら拒絶される・・・それも嫌です。
私のことを勝手に決めつけたフィルターを通して見られたり、やたらに質問してきて私の中に強引に踏み込まれるのもとてもイヤなので、他人に対しても距離をとってしまうのかもしれません。
だからプライベートに関わる話は苦手です。
そして、自分でできることはあえて人に頼まず、自分でやってしまうし、人に物事を相談するということもあまりありません。
人と会ったり、話したりしていても、私が相手の中に存在しているのはそのときだけで、わかれたら次に連絡をとるまでその人は私のことなど考えたりしないだろう、とずっと思っていました。
他人が、私がいないところでも私のことを考えてくれる、など思ったこともありませんでした。
だから私の悪口が話題になったと聞いても、腹が立つよりも私が他人の中に存在していた、という新鮮な驚きの方が先だったこともあります。
もちろん気のあう友人、心をゆるせる人、家族とはなんのこだわりもなく接することができます。
それでも、ある程度以上は距離を縮めないという面もあります。
「エニアグラム」(人の性格タイプの分類法のひとつ)だと私は「タイプ5」。
本当は人と接したくてもうまくできないタイプのようです。
でも部屋を片付けられない、やるべきことを先延ばししてしまう、という悪い癖は人生への甘えなんですが・・・。
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パーソナル・スペース [総合]
席が自由に選べる場合、どこに座りますか?
横並びなら、端や通路際に座ることが多くありませんか?
始発電車の席や、劇場・映画館などの自由席は、まず両端から埋まり、次いでそこから一番離れた中央・・・という風に埋まっていきます。
周りに空いた席がたくさんあるのに、自分が座っている隣に他人が来たらちょっと緊張したり、落ち着かなくなったりしませんか?
これが「パーソナル・スペース(個人空間、身体緩衝帯)」です。
動物で言えば縄張り(テリトリー)のようなものでしょうか。
小学生の頃、隣の子(特に異性)の持ち物が自分の方にはみ出してくると文句を言った覚えはありませんか?
他人が自分の近くに来ると落ち着かなくなったり、拒絶反応が起きる距離です。
これを社会生活の中では状況に応じて(混雑した場所、対人的に必要な場合など)調整しながら、私たちは暮らしています。
個人差もあり、一般的には外交的な人ではこの距離が短く(つまり他人が近くまでくるのを許せる)、内向的な人では長い(人との距離をおく)傾向があるそうです。
また、生活空間の違いから、日本人はパーソナルスペースが狭く(座布団の範囲)、欧米人は広い(椅子に座る距離)、と聞いたこともあります。
家族・恋人など親密な関係では45cmくらい、友人などとの個人的会話では45~120cmくらい、などとも言われます。
もちろんラッシュ・アワーの電車では他人との身体的接触も仕方ないわけですから、自分本来のパーソナル・スペースを無視せざるをえません。
だからこそストレスの原因にもなるのでしょう。
私はこのパーソナル・スペースが広い人間です。
列に並ぶとき(ATMなど仕方ない時以外はなるべく並びませんが)も、後ろにピッタリ付かれたりすると落ち着きません。
よほど親しいか、好意をもった相手でないと接触できる範囲に近づかないかもしれません。
もしかしたら人によってはそれが寂しいかもしれませんね・・・。
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