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認めてほしい [総合]

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人にはたいてい、他者から認められたい、という想いがあります。

容姿をほめられたり、技能や成果を褒められたりするのとはちょっと違う・・・それはそれで嬉しいのですが・・・。

存在そのものを認められる、いていいんだ、という感覚に繋がる、他者からの承認。


私はあるミュージシャン(バンドネオニスタの平田耕治さんhttp://hiratakoji.com/)の応援をしています。

コンサートチケットの予約を受けるので、お知らせにはたいてい私の名前と電話番号が、どこかに載っていました。

それが今回、私が直接かかわるコンサートがなかったこともあり、たまたまどこにも私の連絡先も名前も載りませんでした。

すると、複数の方から、辞めてしまったの?とご心配いただきました。

辞めていません、番号が載っていなくても、私に連絡くださっていいですよ、とお伝えすると、良かった!とほっとされます。

あ~!私のこと、気にかけてくださる方が、自分で思ってた以上にいらっしゃるんだ!

私の名前がないだけで、気にしてくださる・・・ありがたいこと!


それから数日後、武術の師匠からも、私の存在そのものを認めている言葉をもらいました。


人からあまりそう見られないのですが、私は自分に自信がありません。

武術の師匠からも、もっと自信を持て!と時に叱られます。

だからこそ、この連続して起きた出来事は、余計に嬉しかったのです。

私は受容れてもらえてるんだ、ここにいていいんだ、という実感を伴う言葉・・・これは人にも言わなければいけないですね。



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人を信頼し、世界を信頼する [総合]

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孫娘は1歳5ヶ月。

言葉はまだ話さないが、大人が言うことはかなり理解し、大人の行動もじっと観察してまねをし、表情や動作で意思表示をする。


エリクソンの人格形成、発達段階だと、0~2歳の、人や世界に対する信頼感が築かれる時期。

まさにその通りだと思う。

母親が用事の時、2~3時間、一緒にすごす。


まだ階段の登り降りがおぼつかないので、階段にさしかかると、当たり前のように手を求めて差し出し、それに応えて出した私の手に何のためらいもなくつかまる。

他の場面でもそう・・・自分が必要とすれば、当たり前のように手を差し出す。

拒絶するときも、遠慮などなく、素直に首を振ってイヤだ、違う、と意思表示をし、手を払いのける。

眠くなれば全身を預けて眠り、目覚めたときも、自分が完全に起きて、もういい、と気がすむまでもたれている。


拒絶されることなど、微塵も思わず、手を出せば応えてもらえると信じ、受け止めてもらえることに全幅の信頼を置いている。


世界はワタシのためにある。



この時期を経て、人は自律へと向かう。



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人とは不思議なもの [総合]

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周りの友人などを見ていると、いろいろな人がいる。

思うがままに振る舞って、言いたいことを言い、それでも嫌われずに慕われている人。

同じようにしていて、疎んじられてしまう人。

嫌われまいと気を遣い、友人たちに親切にし、その気の遣い方がウザい、と思われてしまう人。

同じように嫌われまいとして、自分を守り、必要以上のことはせず、それでいて時として妙に大胆な行動に出る人。


私は・・・昔から、すごく我慢してきたわけではないけど、言いたいことをズバズバ言う人、羨ましいとは思わないけど何であんな風に言いたいことを言えるんだろう?と思ってきた。

私が言いたいことを言えないのは、たぶん成育史・・・特に母親との関わりのせいだろうな。

言いたいことを言えなくてストレスをためるわけではないし、すごく我慢しているわけではもちろんない。

大方のことは、どうでもいい・・・は言い過ぎだけど、どうしても、とこだわるようなことじゃないし、大したことじゃない。

でもたぶん、どうしても譲れないことがあったら・・・その時は、相手にすると怖いタイプになるかも。


いい大人、孫もいるくらいの歳になっても、自分と違うふるまいをする人は、不思議の対象だ。



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自分の軸をつくる [総合]




ハスキーきなことの散歩は、時には自然とのふれあい、時にはご近所さんや見知らぬ人とのふれあい、時にはトレーニング(笑)、そして時には思索の時間になる。

先日は「自分の軸、ブレない軸、セルフ」なんていう言葉が浮かんできた。

その朝、例によって自分と私を同一化している母の言動にイラッとしていた。

そういう言動にイラッとするのは自分・・・ブレない軸を持ち、そんな自分を第三者的に俯瞰するように見られたら、イラッとすることも少ないし、たとえイラッとしてもそこから早く離れられるんだろうな・・・なんてことが頭に浮かぶ。


心の軸をいきなり調えようとしても難しい。

気功、ヨガ、武術、坐禅・・・こういうもので身体を調えて自分の軸を確認しながら、心の軸を調えていけたらいいな・・・などと思いながら、歩き続けた。






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頭が暇だと悩む? [総合]



「ルーティン」という言葉が流行っているようです。

某スポーツ選手が集中のためにとるポーズからきているようで、ご本人がそれをルーティンとおっしゃったのかはわかりませんが。

言葉にこだわる私としては、「ルーティン」という言葉からくる印象がちょっと違います。

ルーティンで思い浮かべるのは、毎日、あるいは何かの仕事で、決まってやらなければならないことや手順、いわゆるルーティン・ワークと言われるようなこと。

むしろ義務的にやらなければならないこと・・・で、さほどいいイメージがありません。

炊事・洗濯・掃除などの家事もある意味ルーティン。

また、車を運転する時に乗ったら、ロックする、シートベルトしめる、その前に実際どれほどの人がやっているかわかりませんが、始業点検と言われるもの・・・機械を扱う仕事の人であれば、始業点検は欠かせないルーティンかもしれません。

あとは、あまり考えなくても流れが頭に入っていて、機械的、流れ作業的にやる習慣のようなこと。



さてそんなルーティンである、食後の皿洗いをしていると・・・昨夜から溜めていたのでたくさんあった・・・いろいろな想いが浮かんできます。


今日やるべきこと、今週末に向けてやらなければいけないこと、手順を考え、頭の中で確認し、一通り流れを考え終ると・・・ぽっかり空白の部分ができます。



洗うべきものはまだある・・・ふと浮かんでくるのは、あの時ああしていたら、あの選択をしていたら今はどうだったんだろう、ああすればよかった、などなど、今更考えても仕方のない「もし、たら、れば」。

洗濯然り・・・洗濯機が止まって、干しながら・・・。

怖いですね、心のすきま。

あぁ、こういう風に、手を動かしていることに頭を使わないですむと、ほかのことを考え出す・・・そういう時に浮かんでくるのって、なぜかつまらん題材が多い。

子どもが独立した後の専業主婦が陥りやすい、空の巣症候群も、こういうところから始まるのかも。

暇な時間が多いと悩みが増える・・・昔の人は悩んでいる暇などなかった・・・確かに。



「頭の中のおしゃべり」という言葉、それと、「考えることをやめる」ということを、最近聞きました。

私が今やっていることとつながっているんですが。

このことと合わせて思ったのが坐禅。

頭に浮かぶ考えを追わない。

「もし、たら、れば」が浮かんだら、追わず、一瞬でも考えることをやめ・・・お試しください。






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優先順位をつける [総合]

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連れ合いからよく、あなたには優先順位というものがないのか?やるべきことをしないで、やりたいことばかりやっている、と非難されます。


いえ、優先順位はあるんです・・・自分のやりたいことをまずやる、という優先順位が。
それが連れ合いの価値観と合っていないだけです。


それはさておき、日常の中で物事を進めていくには、どうしても優先順位が必要になります。
時にはそれが頭の中でぶつかり合って、わぁーっ!と動きが取れなくなることもありますが。

まず朝起きてから午前中にやることをあげると・・・。


・起床
・洗面
・カーテンを開ける
・ポストから新聞を取る
・朝食の用意(コーヒーを入れてパンを用意するくらいのいわゆるコンチネンタルブレックファーストだから簡単)
・連れ合いを起こす
・ゴミ出し(週に3~4回 母の分が含まれることもある)

・洗濯
・母のご機嫌伺(ここには母が飼っている猫のためのトイレ掃除も含まれる)
・犬の散歩(夏場は最優先、5時起きでまず散歩!)
・掃除

オプションとして
・クリニックに薬をもらいに行く(連れ合いや母の。私のは無い)
・母に頼まれて銀行に行く
・母に頼まれて買い物をする

まぁ、普通の家庭の主婦がやる家事・・・いわば当たり前のルーティンです。

でもこれをどうやって同線に無駄がないよう、効率的に進めるか、というのを考えたりするのも、結構頭を使ったりします。

たとえばキッチンに行くときはなるべく手ぶらで行かず、何か不要なものを持っていく、洗濯は食事中とか散歩中に洗いあがるようにする、とか(たいして頭使うようなことではないですが・・・)。

それでもなんだかワサワサと落ち着かない日常。
主婦の時間というのは細切れだなぁ、と思います。

こんな毎日の中に、大事な人と会う時間や、友達と気楽なランチを楽しむ時間をひねり出すわけですから、私なりの優先順位はあるつもりなんですが。

そして月が変わってカレンダーを見ると、平日(連れ合いを気遣って・・・なんと素晴らしい妻の鑑!!・・・私の自由行動はほぼ平日と連れ合い不在の時にしています)の予定はすでに結構ふさがり、丸一日空いている日は週に1~2日しかありません。


限りある人生、活き活きと過ごすためには、時間を有効に使うことが必要。


そして何より、やりたいことを後回しにしていてはいけない!と思う私です。



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女であること [総合]

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このところ、Facebook でお友達になった繋がりやシェアの流れから、私より若い女性の記事やブログをいろいろ読ませていただいている。


メンタル系やスピリチュアル系などさまざまだけど、思うのは、女性たちが自分の女性性をありのままに活かし、活き活きと活動しているということ。


私は、自分の女性性をどこか、受け入れきれない部分があった。
男性に生まれれば良かった、とか、女に生まれたくなかった、とかいうことではないけど・・・。


子どもが3人いながら、セミナーとかで「お母さんみたい」「穏やかであったかみがあって」「母性的」とか言われたりすると、まぁ、体格がそうだからね・・・と、受け容れたくない自分がいた。


女性を、聖母マリアや、慈母観音のようにとらえている男性がいると、女ってほんとはそうじゃないんだぞ!と言いたかった。


皮肉にも自分の女性性を受け入れられたのは、中国武術を始めてから。

男性と手を合わせ、その力に接すると、女の私にはどうあがいても太刀打ちできない部分がある。

もちろんそのうえで、原理に基づいて女性でも互角に近く立ち合えるやり方を学ぶのが拳法の面白さなのだけど・・・。


ま、それは置いといて、女性性を受け入れざるを得ない状況に置かれ、さらに武術のカウンセリング的な部分に接し、自分の母性的な部分も、夜叉のような部分も見ることになると、今まで受け容れたくなかった部分が、なんだか、そこにいてもいいよ・・・的になってきた。

この歳になって・・・というのも皮肉なものだけど、そしてやっぱり女っぽいことや、女性集団に入ることは苦手だけど、今の自分、ちょっといいかも・・・と思えるようになってきた。

あ~~~若い頃にそんな風になっていたら、人生変わってたかも?いや、今の人生最高だから、これで良かったんだろうな。



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今ここにある幸せ [総合]

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新聞の投書欄を見ていたら、74歳の女性の投稿が目に入りました。

一日に二つの楽しみをすると疲れる・・・昔に比べて体力がなくなった、無理がきかなくなった・・・。
でもそれに合わせて、生活をペースダウンしたら見えてきたものもある・・・。
老いながらも、健康で楽しめる心を持ち続けたい。

というような内容でした。

74歳・・・私がその年になる頃、孫が中学生(!)。
      母は100歳!(ありえないことではない・・・)

私が74歳でまだ100歳の母の「娘」をしていることを考えたら、クラクラしてきます・・・だから考えない。


昨日、あるお坊様のお話を聞きました。

その中で印象に残ったことのひとつ・・・。

多くの人は、今我慢してこれが終わったら幸せになれる、これを乗り切ったら幸せになれる、と考える。

でもそれは違う・・・終わったら幸せが待っているというのではない、そのプロセスの中に幸せがある。


そうですよね!
ここにいること、生きていることそのものが幸せ、どんなことの中にも幸せは見つけられる。

この先に幸せがある・・・と考えるのではなく、今ここにある幸せを感じられるよう、日々を送りたいものです。



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つい買ってしまう本 [総合]

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書店でこのテの「母モノ」を目にすると、つい手を出してしまいます。


いろいろな「母モノ」を読んできましたが、この本のひと味違うところは、愛着形成とオキシトシン(愛情ホルモン、信頼ホルモンなどとも言われ、陣痛を引き起こしたり、母乳の分泌を促したりするホルモン)、オキシトシンの欠乏と性格、などにも触れていることです。


また、事例も多く、母と娘だけでなく、母と息子についてもたくさん書かれています。


私がなぜこのテの本を読むようになったか・・・母との関わりをいろいろ考えるうちに、興味を持ってきました。

母と仲が悪いわけではないし、問題を抱えているわけでもありません。

でもなんだか引っ掛かる、重たい、頭の隅に常に母がいる、そして母に対してバリアを張ろうとする自分・・・。

周りにも、母親とすっきりしない想いを抱えている友人たちがいました。


本を読めば解決するというものでもないかもしれません。でも入口にはなります。

そして、このテのことは、現実にその思いを抱え、経験している人でないとなかなかわかってもらえません。

会話の中で話題に出せば、たいてい「私だってそうよ」「うちの母親もそうよ」「親子なんてそんなもんよ」「あなたは優しいのよ」「お母様はお幸せね」・・・。


私は傍からはそう思われないみたいですが、自分に自信がなく、何かをやり遂げたり頑張ろうとか、一生懸命やろう、これをやりたい!という意欲、自分の中から湧き上がるようなものと縁遠く生きてきました。

何かを反対されてもそれを突破しようという覇気もなく、本当にやりたいこともなく、行き当たりばったり、その場しのぎで無難に生きてきました。
たとえ一生懸命なように見えても、後押ししてくれているものがなくなればあっという間にスピードダウンしてしまう。

一見ちゃんとしてるようでいて家の中も片づけられない、中身は意外に少ないスカスカの上げ底、見かけ倒しなのが私の本性、それをうまくごまかしています。

その原因の一端がこの本で見えたような気がします。


よく「性格は変えられないが、考え方は変えられる」と言いますが、自分の考え方を変えるのもなかなか難しいこと。

私が一番思っているのは、この連鎖を私で終わりにしたい・・・娘たちには、私を頭の隅に住まわせず軽々と、身軽に、自由な自分のための人生を生きていってほしい、と切実に願っています。



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夢はありますか? [総合]

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幼稚園の頃、大きくなったら何になりたい?とクラスで聞かれた覚えがあります。

輪になって椅子に座っていたような・・・なぜか結構よく覚えています。

女の子たちは、お嫁さん!お母さん!幼稚園の先生!看護婦さん!とか口々に言いますが、私はどれも魅力を感じません。

お嫁さんやお母さんは結婚すればなるんだし・・・と妙にさめたことを考えていて、結局、車の運転をしたい!と答えたような気がします。

学校に入っても、大きくなっても、「何になりたい」という職業的な夢はもちろん、あんなことをしたい、とかいう夢もあまりありませんでした。

一人っ子で、家の環境などから、無意識のうちに自分で自分にブレーキをかけ、制限していたのかもしれません。

何でも好きなものになれる、という発想はなく、これをしたいと思ってもきっとダメと言われるだろうな、あそこに行きたいと思ってもきっとダメと言われるだろうな・・・と、自分を制限していました。

冒険心もなく、がんばろう!という覇気もなく、かといって暗い子ども時代だったわけでもありませんが・・・。

だから「夢を持つ」という考えはあまりなかったのですが、振り返ってみると、結構やりたいことはやってきたような気もします。

最近どこかで聞いたか、読んだかなんですが、夢をもたなければいけないんだろうか?夢がなくてもいいんじゃないか?という言葉にほっとしたことがあります。

昨今はなんだか、夢を持たずに生きていることがいけないような風潮がありますが、私のようにあまり先のことを考えず、行き当たりばったりでもいいのではないでしょうか?

もしかすると、そもそも私が「夢を持つ」という言葉に青臭さや甘ったるさを感じていて、そいういうことを言いたくなかったのかもしれません。


ところで今思うことは、あと30年くらいは元気に生きて、せめて最後の10年くらいは本当に自由に、気ままに(今でも気ままといえばそうですが・・・)過ごしたい・・・。
今やっている中国武術も、30年も続ければそこそこイケるんではないか・・・そんなことを思っています。

夢は語るもんじゃない、叶えるもんだ・・・TVで誰かが言ってましたが、どこか地方の居酒屋のおばちゃんが言った言葉だそうです。


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自分のトリセツ [総合]

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自分のトリセツ(取扱説明書)があればいいのに・・・と言った友人がいます。

なるほど~~!と思いました。確かにそうです。

家人や周りの人との関わり・・・よく言われるのが、自分が変われば相手も変わる。

また、嫌いな相手は、自分のイヤな面を持っていて、そこが嫌いだから・・・。

いずれにしても、自分のことがわからないと対処のしようがありません。


最近友人から、考えないで、感じて、と言われました・・・ブルース・リーか!?と突っ込みたくなりましたが。


私は元々感情をあまり出さないタイプ。

だからといって感情がないわけではありません。

若い頃は自分の感情にも気づかない、涙も流さない・・・でも、イライラを独りの時にモノにぶつけていたような気はします。

感じて、その感情を受け容れる・・・。

感情をどう表すか、行動に移すかはその人の選択です。

怒りを感じてそのままに表わし、行動に移していたら、周りから友人もいなくなるかもしれません。

相手を嫌いなのに、嫌ってはいけない、仲良くしなければ・・・と思っていたらストレスがたまります。

不安感というのは人間の原初感情・・・元々誰にでもある感情で、何かにつけ、すぐに出てくる感情です。

不安はあって当たり前・・・くらいのものです。

だから私も、いろいろなことで不安な感情はわき起こってきます(今、そんな不安の塊になっているわけではありませんよ)。

何に対しての不安か、何が不安なのか・・・何だかわからないけど不安・・・というのもあります。

先日の記事で書いたように、幸せすぎて不安、なんていうのもあります。

その不安感をどうやって平安感に変えていくか・・・。

これは、不安に思わないようにしよう、とか、不安感をなくそう、とか、ということではありません。

自分の考え方の癖を知り、どんなことに不安になりやすいか、不安になった時どんなことが起こるか・・・そして、「あ~、こういうことか、これに対して不安になっているんだ」から「不安はすべて消えるわけではないけどこうしよう」とか「それなら不安になる必要はないな」とか、変わっていく・・・。

このプロセスも人によってすべて違います。

感じ方も違えば、感じる度合い、平安感への折り合いのつけ方、落とし所も違います。

私の場合、感情豊かな友人から見ると、感情に蓋をし、抑えているように見えるかもしれません。

でも私なりのレベルがあり、私なりの折り合いをつけているわけです・・・それが70億人の人間がいれば70億通り、あるわけです。



そう考えていくと、まずは自分のトリセツがほしい・・・という友人の言葉もとても納得です。



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幸せになるのが怖い・・・? [総合]

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幸せをそのまま受け取れない人がいます。


幸せになるのが怖い・・・。

良いことが続くと、こんなにいいことが続くわけがない、この後何か悪いことが起きるんじゃないか。

宝くじでも当たろうものなら、運を使い果たしてしまったんじゃないか・・・。

自分みたいな人間に、幸せになる権利はない・・・。

せっかく手に入りかけた幸せに尻込みしてしまって、あ~やっぱり自分には幸せは向いてない・・・。

などなど・・・。


わからないではありません・・・私もあまり良いことが続くと、大丈夫かしら?なんて思ってしまうことがあります。

でも、もったいないことです。

成育史の関係であったり、性格タイプのためであったり、心理学的に言うと「人生脚本」のせいであったり・・・。

「自分なんて・・・」と自己評価が低かったり、「楽しんではいけない」「楽しむことは罪悪」「一生懸命、必死に取り組むことこそ美徳」などたくさんの刷り込みもあるでしょう。

でも、自分の人生は自分のもの、脚本は自分で書き変えられます。

試練や苦労を、成長のためと受け取れるなら、幸せも、ご褒美!と素直にありがたくいただきましょう!





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汝、怒りもて・・・・・・ [総合]

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身体が震えるほどの怒りをもったことはありますか?



激しい怒りは自分の身体にもダメージをあたえます。

激しい動悸。
背中や腰のこわばり。
胃の収縮。

「怒りにわなわなと・・・」という表現があるように、実際、身の内が震え、手も震えます。

そしてこれらの結果、食欲はなくなり、肩甲骨の周囲に凝りと痛みが集まり、思考の柔軟さは失われます。


ひとしきり怒りに身をまかせるのも、時には良し。

ただし、いきなり湧きあがった怒りに任せて送ったメール、口をついて出た言葉、とってしまった行動に、あとで後悔することもしばしばですが・・・。

以上、私の経験。



ちょっと落ち着いて怒りの感情を確認し、振り返ることができたら・・・この段階で再び動悸がしたり、胃が縮む思いをすることもありますが・・・その怒りが自分のどういったところからきているのか、何に対してなのか、そこにある自分の想いは何なのか、見てみましょう。

悩みやマイナス感情というものは、大概の場合、「こうあるべき、こうでなければならない」という理想と、思うようにならない現実とのギャップから生じます。

「尊重されるべき」「いちばんであるべき」なのに面子をつぶされた(と思っていた)り、(根拠などないのに)こうあるべきと思っていることがうまくいかなかったり・・・。

冷静になって考えて、そのあたりが見えてきたら・・・。


まずは自分がとった行動について、相手(がいれば)率直な言葉で思いを伝える。

謝罪すべき行動があれば謝罪する。

それで修復されないような人間関係なら、無理やり続けていく価値はないかもしれませんよ。



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あなたならどうする? [総合]

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友人、Aさんに聞いた話です。

ある日、Aさんが帰りを急いでいると、駅前で中年男性が近づいてきて、「100円ください」と声をかけてきたそうです。

男性は人相怪しからず、そこそここざっぱりとして手ぶら、Aさんは不快感も持たず、怪しいとも思わずに、何か事情があるのかと、「100円?なぜですか?」と尋ねました。

男性は、「急に仕事をくびになり、今日は朝から何も食べていない」と答えたとのこと。

Aさんがどこに住んでいるのかと尋ねると、駅の反対側の公園に住んでいると・・・。

Aさんは、そういう事情ならちゃんと区役所に行って相談しなさい、こんな風に人に恵んでもらおうなんてしていちゃいけない、と諭し、時間があれば区役所までついて行ってあげたかったけど、急いでいたし、100円じゃたいした足しにならないだろうと、1000円札を渡して男性から離れ・・・。

男性は、1000円もいただけるんですか?と言い、土下座せんばかりに、奥さま、ありがとうございます!と何度もお礼を言っていたけれど、Aさんは恥ずかしかったので後ろも振り向かずに帰りを急いだそうです。

その晩Aさんがご主人にその話をすると、「バカだなぁ!騙されたんだよ!ほんとにバカだ!」と散々けなされたとか。

Aさんはそれに対して、「騙されてもいいの、私はそれで良かったんだから」と答えたそうです。

この話をしてAさんは、どう思う?と聞いてきたのですが、私が感じたのは、Aさんは、良いことをしてあげた、とか、困ってる人を助けてあげた、とか、人には親切にしなきゃ、とかの想いは一切なく、ただただ、目の前に現れた「困っている人」にできることをしてあげただけ・・・ということでした。

私ならどうするか・・・。

あなたならどうしますか?




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今年もあと一日 [総合]

人間は不安が本質、とよく言われます。

確かに、ちょっとしたことですぐ不安になりやすく、その不安がさらに不安を呼び、どんどん膨れ上がる・・・よく経験することです。

太古、ヒトがまだ洞窟に暮らし、火がヒトの暮らしにあるかないかの頃、陽が落ちて真っ暗になると、闇は恐怖の元だったでしょう。

闇の向こうから聞こえる物音、気配・・・何が出てくるのかも見えず、ヒトは不安に駆られていたことでしょう。

その頃から蒔かれた不安の種は、ヒトのDNAにしっかり刷り込まれたに違いありません。


そして現代の人間も、幸せの最中にあれば、こんなに幸せでいいのだろうか?と不安になり、不安の中にあればこの不安には終わりがないのでは?と不安になり・・・。

時には、不安の元を確かめて、あぁやっぱり・・・と不安が現実であったことを確認し・・・。


かつて禅宗のお坊様に、「変えられぬ過去に後ろ髪を引かれ、まだ見ぬ未来の不安を手で招き寄せ、今という地に足をつけていないのが、幽霊の姿」と聞いたことがあります。

いるべきところは、今、ここ・・・。

しかし「いま、この瞬間」も次の瞬間には過去になっています。

過去でも未来でもない、「今、ここ」をしっかりつかむこと。

過去に居付かず、とらわれず、常に「今、ここ」を感じることを大切にし、新たな年を迎えたいと思います。

2013年もあと一日・・・来年が良い年でありますように!


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