頭が暇だと悩む? [総合]
「ルーティン」という言葉が流行っているようです。
某スポーツ選手が集中のためにとるポーズからきているようで、ご本人がそれをルーティンとおっしゃったのかはわかりませんが。
言葉にこだわる私としては、「ルーティン」という言葉からくる印象がちょっと違います。
ルーティンで思い浮かべるのは、毎日、あるいは何かの仕事で、決まってやらなければならないことや手順、いわゆるルーティン・ワークと言われるようなこと。
むしろ義務的にやらなければならないこと・・・で、さほどいいイメージがありません。
炊事・洗濯・掃除などの家事もある意味ルーティン。
また、車を運転する時に乗ったら、ロックする、シートベルトしめる、その前に実際どれほどの人がやっているかわかりませんが、始業点検と言われるもの・・・機械を扱う仕事の人であれば、始業点検は欠かせないルーティンかもしれません。
あとは、あまり考えなくても流れが頭に入っていて、機械的、流れ作業的にやる習慣のようなこと。
さてそんなルーティンである、食後の皿洗いをしていると・・・昨夜から溜めていたのでたくさんあった・・・いろいろな想いが浮かんできます。
今日やるべきこと、今週末に向けてやらなければいけないこと、手順を考え、頭の中で確認し、一通り流れを考え終ると・・・ぽっかり空白の部分ができます。
洗うべきものはまだある・・・ふと浮かんでくるのは、あの時ああしていたら、あの選択をしていたら今はどうだったんだろう、ああすればよかった、などなど、今更考えても仕方のない「もし、たら、れば」。
洗濯然り・・・洗濯機が止まって、干しながら・・・。
怖いですね、心のすきま。
あぁ、こういう風に、手を動かしていることに頭を使わないですむと、ほかのことを考え出す・・・そういう時に浮かんでくるのって、なぜかつまらん題材が多い。
子どもが独立した後の専業主婦が陥りやすい、空の巣症候群も、こういうところから始まるのかも。
暇な時間が多いと悩みが増える・・・昔の人は悩んでいる暇などなかった・・・確かに。
「頭の中のおしゃべり」という言葉、それと、「考えることをやめる」ということを、最近聞きました。
私が今やっていることとつながっているんですが。
このことと合わせて思ったのが坐禅。
頭に浮かぶ考えを追わない。
「もし、たら、れば」が浮かんだら、追わず、一瞬でも考えることをやめ・・・お試しください。
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