朝の風景 [身辺雑記]
昨夜の雷雨でようやく猛暑も一段落、秋の気配が感じられる朝を迎えました。
きなこの散歩もちょっと遅めでも大丈夫、いつもよりゆっくり出かけると、朝の人の流れも違います。
いつもなら修行僧がお掃除をしている参道も、この時間だと通勤の人の通り道。
駅に急ぐ人が駆け足で通り過ぎて行きます。
たまにきなこに微笑みかけてくれる人も・・・するときなこも嬉しそうに(?)ジャンプしたり、振り返ったり。
犬でも自分に向けられるプラスのストロークはわかるんですね。
お寺を通り抜け、教会の裏に出ると、付近の家々から次々に人々が出てきます。
7時半・・・この付近から通勤する人たちが家を出る時間のようです。
保育園の近くには子どもを乗せてきた車がたくさん止まっています(そういえば夕方6時前にはお迎えの車が集まっています)。
夏休みが明けて学校が始まると、ここに小学生や中高生の登校が加わるでしょう。
毎朝繰り広げられる、日常の風景。
あたりまえのようになっている日々の暮らし・・・。
駅や街の雑踏に入ると、これだけたくさんの人、一人ひとりの後ろに親や、兄弟や家族がいて、それぞれがどこかに住んで生活していて・・・と思うとなんだか不思議な感覚にとらわれることがあります。
今、駅に急いでいる人々、この人たちが間もなくあの駅や街の雑踏の人たちになるんだな・・・と結びついた思いでした。
早足の人たちをさらに早足で追い越しながら、きなこと家路につきました。
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昔、夜に働いていた時、朝方に仕事が終わって酔っ払いながら家に向かうと、大勢の出勤する人たちが…。
見るときと、本人の感情やその他でその印象は大きく変わるんですね。
by タケ (2007-08-29 21:39)
●タケさん、そういえば徹夜明けで帰るときとか、朝の人の流れに逆行するのってなんか変な感じでした。酔っ払ってればなおさら・・・(笑)
by michaela (2007-08-30 08:40)
都会では、満員電車などで毎日多くの人と接しているのに、それだけでは壁や置物と同じ、孤独なのですね。動物ならそばにいるだけですぐコミュニケーションがとれるのに、人間はやっかいな生き物だと思います。
でも、ほんのちょっとしたきっかけでその壁は、すぐ人の温もりを持つようにもなります。
若い頃、朝の電車の中で、支障事故のため、長時間途中停車したことがあり、時間が気になった私は、思い切って隣に座っていた女性に時間を聞いたことがありました。ただそれだけのきっかけで、私達は降車駅までいろいろなことを話し合い、それから毎日電車の中で会話するようになりました。
都会の孤独。結局、人の心が勝手に作った幻なのだと思います。
あ、先ほどのお話の続きですが、私が長期の出張でその電車を使わなくなり、戻った時にはもう電車で逢わなくなっていました。名前も住所も知らない、東京砂漠のオアシスのような不思議なお友達でした…。
by ぴ絵呂 (2007-09-01 09:02)
●ぴ絵呂さん、コメントありがとうございます。
確かにお互いが勝手に壁を作っていて、それはちょっとしたきっかけで崩せるものなのでしょうね。それは時間を聞くことだったり、微笑を交わすことだったり・・・壁を崩してみれば何のことはない、温もりをもった人間同士なのに、壁があると不安の目で見てますます壁は厚く・・・。
お若い頃のエピソード、素敵な出会いですね!
by michaela (2007-09-01 09:56)