誰の問題? [総合]
自分とほかの人とは別な人格・・・当たり前なことですが、ときとしてゴッチャにしたり、区別ができなくなってしまうことがあります。
特に子どもを育てている人・・・気をつけないと子どもと自分が一緒になってしまいます。
それからとても世話好きなやさしい人・・・。
こんな会話、よく耳にしませんか?
クーラーがきいた部屋で・・・
A「寒いわ。セーター着たほうがいいわよ」
B「別に寒くない。セーターはいらない」
A「そんなことないわよ、寒いわよ!セーター着なさい!」
ケーキを前にして・・・
B「甘いものは好きじゃないんです」
A「これはそんなに甘くないわ。美味しいから食べてみて」
B「でも甘いのは苦手で・・・」
A「絶対そんなに甘くないから」
B「じゃぁ、ちょっとだけ」
A「そうよ!甘くないんだから」(と言ってたっぷり取り分ける)
B「・・・やっぱり甘いです」
始めの会話は親子でよくありがちです。
ケーキの会話はとても親切な人。
でも良く考えてみると、寒いと感じているのも、ケーキがそんなに甘くないと感じているのもAさん。
Bさんは明らかに違う感じ方です。
同じ気温でも寒いと感じる人もいればそうでもない人もいる。
甘さについても、甘い物好きの人なら物足りないと感じても、辛党(最近はこんな言い方あまりしないかな・・・)の人には甘すぎ。
どちらもほかの人も自分と同じように感じていると思い込んでしまう例です。
まして親子であったら、自分の子は自分と同じと思ってしまうのも当然かもしれません。
温度や甘さに関することくらいならまだたいしたことはありませんが、これが、子どもが何か自分で解決すべき問題にぶつかった時などだったら、子どもの成長や自立を妨げることにもなりかねません。
たとえば、我が子がお友達とちょっとしたケンかをしてしまった・・・。
子どもはいろいろ考えて自分なりに仲直りの方法やタイミングを見計らっている。
ところがお母さんの方が、大騒ぎをして相手の親に文句をつけてしまったり、逆にあやまりに行ってしまったり。
子どもが行き詰った時、困った時、ついつい手を貸したくなるのは当然です。
でもそこでちょっと立ち止まって、「誰の問題?」と考えてみましょう。
子どもは(自分と違って)寒くないのにセーターを押し付けようとしていないか、(自分と違って)甘いものが嫌いなのに大きなケーキを与えようとしていないか・・・。
子どもの問題なのに、代わりに考えて答を出そうとしていないか・・・。
そしてこれは、子どもに限らず、夫婦や職場などでも言えることです。
「誰の問題?」と考えてみると、もしかしたら余計なお荷物を人の分まで背負い込んでいたことに気づくかもしれませんね。
ホントにそうですね。言われてみて、「なるほど」って思ってしまいます。
子どものケンカの話、とても大切なことだと感じました。なにもかも親が親の価値観と視線で決めると、これから生きるための訓練が損なわれてしまい、子どもは訓練のないまま親になってしまうのでしょうねぇ。ちょっと怖い話ですね。
by (2006-07-25 14:06)
cocoa051さん、いつもありがとうございます。
少子化になると親の意識はいっそう子どもに向かい、ますます過保護・過干渉が心配です。それに親自身が育っていないと思われる人も多いような気がします。
by michaela (2006-07-26 17:36)