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ジダンの頭突き [NLP]

サッカー・ワールドカップもさまざまな番狂わせ、悲喜こもごものうちに終わりました。
個人的には日本→ブラジル→フランスと応援したところが次々に負けてしまったので複雑ですが・・・。

さて最後に大きな置き土産となってしまった「ジダンの頭突き」。
真相は本人達にしかわからない、藪の中ですが、物事の感じ方、とらえ方といった、心理療法の観点から見ると非常に面白いものがあります。

まず発端となったと思われる、マテラッツィの「ユニフォーム引っ張り事件」。
ピッチ上でのできごとですから、皆ハイテンションで闘争的になり、ユニフォームの引っ張り合いなど日常茶飯のことでしょう。

そこでジダンが言ったとされる「ユニフォームがほしけりゃ後でやるよ」。
ジダンがどのような心づもりで言ったかはわかりません。
言葉どおりのことで、さほど深い意味はないかもしれません。

しかしこれもピッチ上ですから、丁寧に、穏やかに言ったとは考えられませんね。
言われたマテラッツィは「侮辱的」と「感じ」、ジダンに対して「何か」を言ったわけです。

両者とも言葉の内容は言っていませんからわかりませんが、今日のジダンの会見によれば「3度目を聞くくらいならビンタの方がまし」と思うほどの侮辱的な言葉だったようです。

そしてあの伝説になりそうな頭突きとなってしまったわけです。
ジダンはこれまでも頭突きやラフプレーがあったようですが、ワールドカップの決勝戦、最後の最後、最も大事な場面でレッドカードを引いてしまったわけです。

両者の間に言葉の受け取り方、それに対する反応の仕方、行動があり、この結果になったわけです。
この事件の裏にはフランスの移民社会や差別的な問題もからんでいるようで、これからも注目していたいと思います。

さて、NLPには「物事にはすべて肯定的な意図がある」という考え方があります。
マセラッティの暴言も、ジダンの頭突きも、最終的には侮辱的な言葉に抵抗し、自分や家族の名誉を守る、という意図があったのかも知れません。
「侮辱的な言葉に抵抗する」ことも「名誉を守る」ことも決して悪いことではありません。
ただ、その方法が良くなかったのです。

このような、目的や意図は決して悪くないけれど、方法が悪い、というケースはいくらでもあります。
極端な例をあげれば、「大金を手に入れたい」という意図そのものは決して悪くはありません。
でもそのために強盗を働いたり、インサイダー取引をしたり、という方法は許されません。
あたりまえですが、別な方法を考えなければならないわけです。

ここで頭に入れておきたいのは、この「物事にはすべて肯定的な意図がある」ということです。
ちょっとしたことで、一見マイナス行動に見えても、その裏には実は肯定的な意図があるかもしれません。
特に子どもの場合なども、頭ごなしにしかりつける前に、行動の裏にある肯定的な意図は何か、ちょっと探してみると良いかもしれません。

そしてもうひとつ、「なぜそんなことをしたのか?」では原因探しになって責めるだけになることがあります。
「何がそうさせたのか?」似ているようでもちょっと違う視点です。
肯定的な意図を探るときには、この「何がそうさせたのか?」の方が役に立ちます。

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コメント 4

マチルド

ジタンの頭突き話、私も詳しくは知りませんでしたが、いろいろな話を聞いているうちに。
この結果だけをみてしまうと、何て事をしてしまったんだ・・ということにしかなりませんが
真実を知りたい私は(笑)ジダンのそうさせてしまった気持ち、原因に目が行きました。
フランス在住の人のブログでジダンの記者会見で彼の様子を赤裸々に書いていたのを読んで
彼は間違ったことをしたとは思えない・・・という私は気持ちになりました。

『後悔している』とは言えない。そう言ってしまったら、あのイタリア選手の言ったことを正しいと認めることになる。それはできない。」

家族への侮辱は彼にとってとても許せないことだったのでしょうね。
かなり沈痛な表情だったとの事。。

michaela さんの記事を読んで思ったことは、なるほど、こういう見方もあるなという感じ。
非常に納得のいく、内容であり、私よりも感情移入しないで物事を分析して表現しています。
ある一つの物事を、やはり違った角度で捉えるんだなと。
NLPにも私は非情に興味があるので、大変勉強になりました。
by マチルド (2006-07-13 22:55) 

michaela

マチルドさん、ご訪問とコメントありがとうございます。
さっきもテレビを見ていて思いましたが、やはりフランス人たちはジダンに好意的であり、イタリア人はマテラッツィに好意的。当然ではありますけど、真相を知りたいですね。
ジダンもサッカー生活最後になるかもしれない試合の重要さは当然わかっていたはずですから、あの行動も単に衝動的なだけではないでしょう。
それにしてもサッカーというスポーツの性格、日本ではあまり考えられない他民族国家の複雑な背景も考えさせられました。
by michaela (2006-07-14 00:17) 

とても難しいですね。もしピッチの外だったらジダンは刑事犯罪の対象だったかも・・・。レッドカードでは済まされなかったかも知れませんね。
差別的言辞を言葉の暴力と言いますが、おそらくそれを理由に懲役を科せられた人もいないのではないでしょうか。人間界にとって永久の課題ではないかと思います。
by (2006-07-15 08:53) 

michaela

cocoa051さん、コメントありがとうございます。
本当に難しいと思います。そうですね、ピッチの外だったら・・・おりしも相撲でも一波乱ありましたね。
言葉の暴力は、録音でもしない限り証拠は残らない、でも傷は大きいですよね。よく身体の傷は癒えるけれど、心の傷は消えない、と言いますが・・・。
永久の課題を考え続けることも人間の進歩につながるかもしれませんね。
by michaela (2006-07-20 08:44) 

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