老いと・・・闘う? [身辺雑記]
ペットボトルのふたが開けられない・・・それどころか、中身が入った500ミリのペットボトルが重い。
缶のプルトップが開けられない。
割りばしが割れない。
ゴミの袋が重い。
85歳の母が、春に左手首を骨折し、生活を手伝ったり身近に接することが増えて感じた老い。
ほぼ元の生活に戻り、ペットボトルのふたは開けられるようになり、割り箸も割れるようになりましたが、2か月以上自分でやることが減っていた生活は、やはり老いを助長させたように思います。
母は頭もしっかりしていますし、身体的な不自由もあまりなく、同じくらいの年齢の女性に比べると、他人様からは若い、回復が早い、などと言われ、本人もその言葉に気を良くしています。
いつもきれいにメイクし、週に一回サロンで髪を整え、ピンクや赤など明るい色の服しか着ない。
それだけにむしろ、老いに対する抵抗が強いようです。
母なりのセルフイメージが強くあり、それを崩すことはおそらく耐え難い。
いつも元気でいなければ = 骨折して行動が自由にならない状態、娘にあれこれやってもらわなければならない状態は本意ではない。
こんなに病人みたいになっちゃって・・・・・・だから病人(怪我人)ですから、と私。
2~3カ月のブランクを取り戻すには、もっと若い年齢の時より何倍も時間がかかるはず・・・それも受け入れ難く、元気が出ない、前はこんなじゃなかった、どこか悪いんじゃないだろうか、と思い悩む日々。
血液検査をすればお医者さんが、完璧!俺よりずっといい数値!と言う・・・。
じゃぁ、どこか悪いところが見つかればよかったの?と言えば、そうじゃないけど・・・と。
気づいたのは、母は実はものすごくマイナス思考だということです。
ひとつ良くなればそれを喜ぶのではなく、また別のマイナス要因を見つけてくよくよする・・・その繰り返し。
だからこそ自分の中にマイナスがあってはいけない、見たくない。
「老い」を頭ではわかっているかもしれないけど、見たくない、認めたくない。
周囲の他人様は甘い言葉しかかけませんが、実の娘の私は容赦ありません。
しかし愚痴をこぼす相手は娘だけですから、顔を合わせれば愚痴る・・・。
顔を見た途端に文句ばかり言われるのではたまったものではありません。
結果、私の言葉もさらにきつくなってしまいます・・・ここが実の親子の方が難しいところ。
親御さんの介護をしている方、特に同世代の介護者は老々介護に近い・・・それに比べれば私と母の関わりなどまだまだ甘いでしょう。
私の方にも老いた母に対して「母」というイメージがぬぐい切れず・・・それでも母の「老い」を日々見つめながら、自分への戒めとしたいと思います。
世には「アンチエイジング」という言葉がはびこっていますが、年齢を重ねることは当たり前のこと。
抵抗し、闘うのではなく、受け容れてうまく折り合いをつけながら生きる、「ウィズエイジング」を考えませんか?
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