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片付けられない!! [REBT(論理療法)]

年末ともなると頭を悩ませるのが大掃除。私は普段から片付けるのが下手・・・。

世の中にはこまめに片付けや掃除をしていつも家の中をきれいにしている人もいるというのに・・・。
ホントに片づけができないねぇ、と嘆く夫には「人間ひとつぐらい欠点がなきゃ!」と言い訳をし、「埃じゃ死なない」と逃げ・・・。
あと1年で主婦歴25年ともなればもう新米主婦で・・・なんて言い訳はとてもじゃないけど通用しません。

どんどんたまる書類や本の山、通販カタログに明細書の山。
リビングを占拠している山をよく見ればほとんどが私のもの・・・子ども達のほうがよほど片付け上手です。

夫もたまりかねると時々キレますが、最近言われたのが「貴女は優先順位というものをつけないんじゃない?」
・・・図星でした。
そう、嫌なことは後回し、片付ける前にちょっとこれをやって、ここを片付け始めたら時間がかかるからこれは後にして・・・。
結局ほとんど何も変わらぬまま・・・。

見ているだけでは部屋は片付かない、行動を起こさなければ何も変わらない。
嫌なことを先に片付けて、後からゆっくり楽しむよう、行動パターンを変える。
一度に完璧にしようとせず、できるところから少しずつでも手をつけよう。
そして何より、やるべきことをリストアップして優先順位をつけてみる・・・。

来週は少し頑張ります。

実は私は仲間と、『論理療法による三分間セラピー―考え方しだいで、悩みが消える』(誠信書房)という本を翻訳して出版しています。

私が担当した章のひとつで、まさにこの先延ばしと片付けられないことが扱われていました。
訳しながら、あぁ・・・すべて私のことだ・・・と身につまされていたのですが、いざ実践となるとなかなか・・・自分で訳しておきながら、もう一度読み直さなければならなそうです。

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マイナス感情のレベルダウン [REBT(論理療法)]

私たち人間の悩みというものは、きわめて単純に言えば「理想と現実とのギャップ」といえます。

<こうありたい><こうあって欲しい>という理想、<私ってこんな人><こんなふうに振舞いたい>という理想(というか仮想、思い込みでもあります)の「私」・・・これらと本来の現実や本来の「私」とのズレがあるから悩みになるのです。

この<理想>として描いている中に、意味のない、合理的でない「ねばならない」「~すべき」「~であるべき」があると、そしてそれが強ければ強いほど、悩みは大きくなってしまいます。
つまり期待が大きければ大きいほど、外れたときのガッカリも大きい、というわけです。

これら合理的でない「ねばならない」や「~べき」は大きく3つに分けられます。

①自分に対する「ねばならない」
 たとえば「私は常に良い人でなければならない」「すべての人から好かれなければならない」「いつも良い母親(父親・子)でなければならない」「私は常に成功者であるべきだ」・・・

②他人に対する「ねばならない」
 「すべての人は私と同じ意見でなければならない」「みんな私の言うとおりにしなければならない」「誰もが私のことをほめるべきだ」「店員はお客の注文をすべて受け容れるべきだ」・・・

③周囲の状況に対する「ねばならない」
 「電車は常に時間通り運行されるべきだ」「病院の待ち時間は絶対に短くなくてはいけない」「世の中はいつも私の思い通りに動くべきだ」・・・

何か悩みがあり、そこから生じる感情が耐え難いものであったとき、実はこれらの無駄な「ねばならない」が潜んでいるのです。
「あんな風に言われた私は生きてはいけない・・・(潜んでいるのは・・・私はすべての人から好かれなければならない)」
「感謝の言葉もないなんてあの人は最低だ・・・(潜んでいるのは・・・私の期待通りに振舞うべきだ)」

渦巻いている感情が、一時のものであればさほど問題はないかもしれませんが、それが強い怒りや絶望感などで、たびたび湧き上がってくる時、あるいは耐え難いほど強い時、この潜んでいる無駄な「ねばならない」のことを思い出してください。

「すべての人に好かれるなんて可能?」「周りの人がいつも私の思い通りに動かなければならない根拠はあるの?」・・・と自問自答します。

そして「すべてなんて無理」「いつもなんて不可能」と、これらの「ねばならない」が意味のない無駄なものであると気づけばしめたもの!
「すての人に好かれるなんて無理だけど、私には友達もいるし、あの人から好かれなくたって困りはしない」
「感謝してくれないのは残念だし困った人だが、それだけのことだ」

悩みをすべて消し去ることは不可能かもしれません。
怒りや絶望感を0(ゼロ)にすることも不可能でしょう。
でもたとえばレベル100だった怒りをレベル30くらいに下げたり、どうしようもない絶望感だったものを「ちょっとがっかり」くらいに軽くできたら、少し楽になると思いませんか?

「私は絶対に悩むべきでない」「私は絶対に怒るべきではない」 になると、またそれが悩みの元になってしまいますよ。

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