SSブログ
サイコシンセシス ブログトップ

もう一人の自分 [サイコシンセシス]

先日、自分の中にあって、怒っている自分や悲しんでいる自分をいつも冷静に、ありのまま受け止めている「セルフ」のことを書きました。

感情に振り回されそうなとき、「セルフ」の存在を思い出してそこに立ち返れば、もう一人の自分が眺めているように客観的な気持ちになれます。

また、こうした概念を知らなくても、第3者的に冷静に自分を見つめられる人もいます。

ではどうしたら「セルフ」に出会えるか・・・。
「セルフ」は誰にでもありますが、普段はなかなかその存在に気づきません。
気づくためには多少の訓練も必要かもしれません。

まずは、今の自分の感情を意識すること。

怒っているのか、いらだっているのか、悲しいのか・・・。

その感情が良いか悪いかという評価はしません。
ただ感情に気づくだけ・・・気づいている部分、それが「セルフ」です。

あぁ、こんなことで怒ってるんだな・・・とそのままを受け止めます。

「セルフ」を自由に意識できるようになれば、感情のコントロールもしやすくなるはずです。

野球やサッカーの選手が会心のプレーができたとき、「もう一人の自分が自分のプレーを見ているようだった」とか、「ボールが止まって見えた」などということがよくありますが、これも「セルフ」のなせるわざでしょう。

フィギュア・スケートの荒川静香選手が、ジャンプしながら回転の成否を冷静に判断できたのも「セルフ」の存在が大きいと思います。
回転が足りず失敗するかもしれない、と動揺する感情に振り回されていたら、本当に失敗したかもしれません。

もちろん彼らは「セルフ」という概念は知らないかもしれませんが、「冷静に見つめるもう一人の自分」としてその存在に気づき、活用しているにちがいありません。

人気blogランキングへ


nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

私らしいって何? [サイコシンセシス]

(そんなこと言うなんて・するなんて)あなたらしくない、あなたはそんな人じゃないはずよ、いつからそんなふうになったの? あなたって怒りっぽいわね、あなたはいつもやさしいわね、あなたが怒ってるところ見たことない・・・

こんな言葉をよく人から言われたり、人に言ったりもしますね。

でも、「あなたらしくない」ことをしているのも私だし、「そんな人じゃないはず」って言われても、これも私。
「いつからそんなふうに~」って言われても別に変わったわけじゃない。
いつもいつも怒っているわけではないし、やさしくないときもあれば、腹を立てることもある。

私たちにはいろんな面があると思いませんか?
相手や状況によって使い分けることもあるし、そのときの気分で違うときもある。
でもどれも自分であることには変わりません。

多重人格などではなく、一人の人にいろいろな面があって、そのときどきで違った面が現われるのは当たり前のことです。
ただ、現われやすい面があるかもしれないだけのことです。

そしてこのいろいろな面(ちょっと専門的に言うと、サブ・パーソナリティ)を常に冷静に見つめ、あるがままに受け容れ、ときにはコントロールする「セルフ」という「私そのもの」が存在する、という心理学の考え方があります。

「セルフ」-私そのもの-は常にニュートラルで、怒りっぽい面も、泣き虫なところも、いじけやすいところも、やさしいところも、すべてそのまま、批判も評価もせずに受け容れています。

どうしようもなく落ち込んでしまっているのは「落ち込みサブパーソナリティ」に振り回されてしまっているのだし、怒りを爆発させて収集がつかなくなってしまうのは「怒りのサブパーソナリティ」がでしゃばっている・・・自分が落ち込みそのものや、怒りそのものになっているわけではありません。

そして、「セルフ」の存在を意識することで、いじけてしまったときには「いじけやすいサブパーソナリティが出てきたんだ・・・」、怒りすぎたときには「怒りのサブパーソナリティ出現!」と、客観的に眺めることもできるのです。

もちろん、喜怒哀楽が活き活きと表現できる方が素敵です。
でも感情に振り回されて辛くなったとき、この考え方を思い出し、「セルフ」という第3の視点から自分を客観的に見ると、ちょっと冷静になれるかもしれません。

人気blogランキングへ


nice!(3)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感
サイコシンセシス ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。