言葉にとらわれ、地雷を踏む [コミュニケーション]
私は言葉にこだわることがある、と以前書きました(http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07)。
こだわる、というか、とらわれる、というか。
会話の中で、その時は流れにまかせてスルーしたようであっても、自分の中の何かにひっかかり、後から、喉に刺さった魚の小骨というか、足の裏に刺さった小さな棘というか、歯の隙間に挟まって取れない何かというか、どうにも気になってくるのです。
なぜ気になるか・・・そこには、こうあるべきとか、こうであってほしかった、という自分の考え方や相手への想いなど、様々な要因があります。
もしかしたらその場で、ちょっと待って、今の言葉・・・と気持ちを伝えていたら、状況は変わっていたかもしれません。
ケンカになったかもしれないし、その場で解決して後でモヤモヤするということがなかったかもしれません。
ただ、私の性格として、その場ですぐに返せない・・・一度自分の中に落とし込んでからでないとダメ、というのがあります。
その言葉を聞いた瞬間、どこかでピッと小さな警告音が鳴るのですが、どこだかわからない、なんかスッキリしない・・・で、時間が経つにつれ、警告音が少しづつ大きくなる。
そして、これを言ったら地雷を踏んでしまう、とわかっていながら、突っかからずにいられなくなったり・・・。
その場で言えないのは、私の巡りが悪いこともありますが、こう言ったら嫌われるんじゃないかとか、相手が気を悪くするんじゃないだろうかとか、ようするに自分を良く見せたい、というのもあるんでしょうね。
言ってしまってから、あ~やっぱり言わなきゃよかった、と思うこともたびたび・・・いや、その方が多いか。
人生は修業の連続です。
失敗は成功の基・・・一生学びです。
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言霊 [コミュニケーション]
日本には「言霊(ことだま)」という素敵な概念があります。
言葉に魂が宿る・・・。
こういう想いを持っていると、そう簡単に嫌な言葉や、相手を傷つけるような言葉は吐けなくなるでしょう。
その上、一度口にしてしまった言葉、自分の身体から出してしまった言葉は二度と元に戻せない・・・良い言葉なら良いですが、後悔するようなことを言ってしまっても、二度と元には戻せないのです。
言葉には気持ちがこもる・・・それが言霊でしょう。
以前、家人から何かのことに対して「ご苦労様」と言われ、反論したことがあります。
私には、「ご苦労様」という言葉には目上から与えられるねぎらいの言葉、というような感覚があったので、家庭でのことに対して「ご苦労様」というのは、対等のはずの夫婦間で会社でもないのになんだか上から目線だな・・・と感じられたのです。
もちろん家人にはまったくそんなつもりがなく、逆に、私の方が言葉にとらわれ過ぎだと責められました。
「ご苦労様」と言われても気にならない相手もいれば、同じ相手からでも気にならない時もあります。
その時の私はたぶん、「ありがとう」という言葉がほしかったのかもしれません。
こういう風に、私はたまに言葉にとらわれることがあります。
悪く解釈されれば「言葉じりを捕える」ととられかねません。
時には言葉に表れているものと違う感情を、言葉の裏に読み取ることもあります・・・怒ったような言い方で「怒ってないから」と言われるのは典型ですね。
ニコニコと一オクターブ高い声で褒め言葉を向けられ、その裏の逆の気持ちが見えたり・・・。
こんな時は言霊はどうはたらいているのでしょうね。
こうして言葉の裏を気にするようになったのは、成育史の影響もあるかもしれません。
子どもの頃から、母の言葉と裏腹の感情を気にしていて、こんな癖がついたのかもしれません。
しかし、いつも相手の言葉の裏を気にしていては疲れるし、精神衛生上良くありません。
だから私は裏のありそうな言い方をする人や、お世辞を言う人は苦手です。
時には思わず感情のままの言葉をぶつけても、きちんと謝る・・・嬉しい時には嬉しいと言う・・・大事な人には言葉で気持ちを伝える・・・言霊を駆使して、ストレートなコミュニケーションができるのがいちばんです。
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私は人見知り… [コミュニケーション]
だから幼稚園2年保育の1年目はほとんど登園拒否だったらしいし…。
小学校でも、何がいやって、グループ学習や遠足の班割がめんどくさかった…。
いっそ出席番号順なら楽だけど、自由に組んでなんて言われると…。
もちろん仲のいい子はいるけれど、クラス替えで違うクラスになっていたり、人数の関係で組めなかったりすると大変。
あぶれたらどうしよう!なんて、実はドキドキでした。
ホント、学校って狭い世界ですよね。
ま、こうやって小・中学生時代に人との関係の作り方や、処世術を学んでいくのかもしれませんが…。
もしかしたら、基本、私は団体行動に向いていないのかもしれません。
今でもその傾向はありますから…。
だから、大きくなったら何になる?なんて聞かれた時の選択肢に、学校の先生や看護師さん、お医者さんなどという人間相手の職業は考えられませんでした。
そんな私が人さまのお話を聴かせていただく聴き師(カウンセリング)の勉強をするとは思ってもいませんでしたが…。
人間への興味と、自分自身のため…何がこの人をそうさせているのだろう…などと考えると奥深い世界に引き込まれます。
そして…、年を重ね、経験を積むと、人見知りでも結構大胆に声をかけることもできるようになるんです。
そのおかげで最高の武術を学ぶこともできるようになったわけで…人生最後まで何が起きるかわかりません。
言の葉に乗せて・・・ [コミュニケーション]
いつも待たされるところですが、昨日は急いでいたので、待つようなら処方箋だけ預けて後で取りに来ようと思い、「どのくらいかかりますか?」と尋ねました。
「ほかにいらっしゃらないし、10分ほどで・・・お急ぎですか?」
と言われたので、壁の時計を見て考えながら・・・えぇ、急いでますが、10分なら・・・と待つことにしました。
で、薬は思ったより早く、5分ほどでできてきました。
伝票の端には「急ぎ」と書いてあります。
支払いながら、ありがとうございました、早くして下さったから助かりました、と言って帰りました。
本当に助かったから言ったのですが、これって意外に大事です。
私も気分良く、お店の人たちもにこやかな表情から見てたぶん気分良かったと思います。
先日もデパートで、何箱かお願いした包装があまりにも手早く見事だったので、「すごいですね!」と言ってしまいました。
最近、こういったことをなるべく言葉にして伝えるようにしています(怖いもの知らずの年齢になってきたからできることでもあるんですが・・・)。
言わなくてもわかるだろう、とか、「心の中で感謝した」では伝わりません。
言葉にしてこそ伝わる想いはあります。
日本には「言霊」という素敵な文化があります。
嬉しい想い、感謝の想いは、素直に率直に、言葉にして伝えたいですね・・・まずは家族や身近な人へ・・・。
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ホウレンソウ [コミュニケーション]
数日前の日経新聞のコラムに載っていました。
「ホウレンソウ」・・・野菜のではありません。
「報告・連絡・相談」の頭文字、「報・連・相」。
組織でよく使われる有名な言葉ですが、なんでも20年以上前に、旧山種証券の社長だった山崎富治氏が考案したとされるとか。
報告は縦、連絡は横、相談は集団の、コミュニケーションを指し、本来は風通しの良い組織作りの大切さを説いているそうです。
それが下から上への一方通行的な「ホウレンソウ」だけを求めるような職場はあやうい・・・とコラムにはありました。
確かに職場に限らず、家庭でもそうかもしれません。
コミュニケーションは、双方向であって初めてコミュニケーションとして成り立つはずです。
つい最近携わった、ある内部機関誌の今回のテーマが「家族」。
その中でコミュニケーションを取り上げた記事が、期せずして2つ投稿されました。
どちらも家庭でのコミュニケーション不足が、最近の社会性に欠けた若者を育てているのではないか、と憂えていました。
携帯電話やメールはある意味コミュニケーションの手段のひとつですが、その発達に伴い、顔と顔をあわせて対話する能力が減っているのではないでしょうか。
顔と顔をあわせなければ、顔色で雰囲気を感じ取ったりすることもなく、メールに頼ってしまえば微妙な声の調子や言い方を感じ取ることもできなくなります。
対話能力の欠如に伴い、相手の気持ちを思いやる能力も欠けてくる・・・。
想像力の欠如が諸悪の根源と言われるのもこのあたりでしょう。
家庭の中でも、本来の意味を持った双方向の「ホウレンソウ」が必要でしょうし、お互いを思いやる心も家庭から始まるのではないでしょうか。
その数日後の新聞記事で、最近流行りだした「鈍感力」がある程度必要、という文も読みました。
「最近の若者は【空気を読む】ということに過敏になっているのではないか、もっと鈍感力を持った方がいい・・・」というような内容だったと思います。
確かに過敏に反応しすぎることはストレスを生みますが、ある程度の【空気を読む】力は必要だと思います。
何事も塩梅だとは思いますが、誤解された「鈍感力」がもてはやされるようになることがちょっと心配になった記事でした。
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夫婦で旅行に行きたいですか? [コミュニケーション]
友人たちと旅行の話をしました。
ほぼ同年代の、そろそろ夫の定年を見据えないと・・・という人たちです。
誰と行きたいか…友人や娘と行きたい!
夫とは?
絶対イヤ!中にはバイト代払ってもいいから息子も連れていきたい、絶対二人はイヤ!という人も。
五回に一回は夫とでもいいかな…。
話すことがなくて会話が続かない。家では子どもがクッションになり、いないときは犬でもいいから間に…。
旅先でまで「お茶をいれて」とか言われたくないし、夫のペースで動かされるのはイヤ。
などなど・・・。
旦那様方は気の毒なほど、疎まれています。
なぜなのか…別に嫌いなわけではないようです。
気を遣う…というのが一番の理由かもしれません。
リラックスできないのです。
休みの日も、夫を置いて出かけることになんとなく気兼ねしてしまう。
昼食の用意をしておかなければ…。
別に出かけるなと言うわけではないが、快くという感じはしない…。
何時に帰ってくるのか、とか、食事はどうするのか、とか・・・。
家に夫がいると、友人との電話もしづらい、という話も聞きます。
もしかすると、自分で自分に枠をはめているところもあるかもしれません。
もちろん、一緒に行くのが楽しいというご夫婦や、それぞれの趣味をそれぞれに気兼ねなく楽しんでいるご夫婦もたくさんいらっしゃるでしょう。
一方で、夫が家にいるようになると妻の寿命は縮まる…「老後に夫と同居する妻の死亡リスクは2倍」という笑えない現実もあるようです。
熟年離婚も含めて、旦那様が疎まれるのには日頃のコミュニケーション不足が一因のような気がします。
妻が何か話そうとしても旦那様は面倒がったり、聞く耳持たなかったり。
聞いてくれたと思えば、会社や企業での論理で推し量ろうとしたり!
妻はただ聞いてもらって「そうか、そんなことがあったんだ」「それは大変だったね」と受けとめてもらえば気がすむのに…。
そのうち聞いてくれないならもう話すのはやめよう、とか、なんでお説教されなければならないの?とかで、会話が減ってしまう・・・。
一緒にいるとなんとなく気詰まりでリラックスできない・・・。
もっと若い頃、旅行に一緒に行きたいと思っても仕事が忙しくて出かけられなかったこともあるかもしれません。
夫がコミュニケーションをはかろうとしない間に、妻達は友人や娘達と絆を深めていく・・・。
世の旦那様方、奥様の話は聴いてあげて「そうなんだ・・・」「大変だったね」と相槌を打ってあげるだけでもいいんです。
解決策が欲しくて話すわけではないのです。
もちろんマニュアルどおりのような、心がこもっていないやり取りはすぐに見破られてしまいますよ。
うちの場合は?
夫を置いて出かけることにはやはりなんとなく気兼ねしてしまいます…。
一緒に旅行…状況次第ですね(笑) 。
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目は口ほどに・・・ [コミュニケーション]
コミュニケーションなどでよく使われる「メラビアンの法則」というものがあります。
人に何かを伝える場合、
*表情、しぐさ、態度などで伝わるもの・・・55%
*言葉の調子、言い方、声の調子などで伝わるもの・・・38%
*言葉そのものの内容や意味で伝わるもの・・・7%
つまり何かを伝えようとした時、大部分(93%)はその人の表情や話し方で伝わっていて、言葉そのもので伝わっている部分はたった7%しかないということです。
せっかく良い内容なのに、単調な話し方で表情も変えず、淡々と語っていては、ほとんど伝わらないということですね。
また、たいした内容でなくても、ユーモアを交えながら表情豊かに話していることはなんとなく印象に残り、でもよく考えるとそこだけが残っていて内容はなんだったんだか・・・ということも起こります。
そして、だからこそ言っていることと違う、言葉の裏側も読み取れるわけです。
そう考えると表情の見えない電話の場合、声の調子や言い方と言葉そのものだけで伝え合うわけですから、誤解が生じることもありえます。
私もそれで大失敗をしたことがありました。
特に女性の場合声を取り繕って(気取って)話すことがよくありますから、電話での相手の返事を真に受けていたら、実はとても怒っていた、というわけです。
もしも顔を見ながら話していたら、声はつくろっていても、目が笑っていない、口元が引きつっている、などと表情を読み取れたかもしれません。
テレビ電話が発達したらこういったことは減るかもしれませんが・・・。
そしてさらに怖いのはメールやネット上のやり取りです。
表情も見えない、声も聞こえない、まさに言葉そのもののやり取りですから、字面だけを見て判断するしかないわけです。
だからこそ、絵文字や顔文字を利用して少しでも表情をつけようとするのでしょう。
メラビアンの法則を知らなくても、多くの人は、このあたりの必要性を自然に感じ取っているのかもしれません。
ですから私は、本当に重要なことやちょっと複雑なことは電話で、できれば直接会って話すようにしています。
言葉の裏 [コミュニケーション]
日本人の文化的特性として、奥ゆかしさ、謙遜・謙虚さ、思いやり・・・などなどとても素敵なものがあると思います。
しかし、これらがともするとかえって摩擦を生んでいるような気がするのですが・・・
たとえば「言わなくてもわかってもらえるだろう」「そんなこといちいち言われないとわからないのか・・・」「家族だからわかってあたりまえ」
そして、本当は望んでいるのに、言葉では「いいえ、とんでもない、結構です」。
真に受ければ「そんなこともわからない気のきかない人・・・」ととんでもないことになります。
言葉の裏を読むため、そして相手の本音を探るため、常に神経をはりつめていなければなりません。
もちろん、相手が何を望んでいるのか、何をしてほしいのか、思い巡らせることは決して悪いことではありませんし、それができれば人間関係がスムーズにいくことも確かです。
「自分がしてほしくないことは人にもするな」とはよく言われることですし、聖書にも「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」(マタイ7章12)と書かれています。
でも、望んでいるのに言葉では「とんでもない、結構です」と言い、相手が言葉どおりに受け取れば「望みどおりにしてくれなかった」とイライラするのはおかしいですよね。
ストレスにもなります。
日本の文化の中では、おもんぱかることも必要ですし、すべて言葉にしない方が良い場合もあるでしょう。
しかし本音と行動が違うのは精神衛生上からも決して良いことではありません。
率直に伝えることはコミュニケーションの基本ともいえるでしょう。
少なくとも言葉と思いとが裏表のないように生きたいものです。
そして、「ありがとう」、や「嬉しい」、は心の中にとどめず、キチンと言葉で伝えたいものです。
たとえ相手が家族であっても、いえ家族だからこそ、必要なことだと思います。