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寒風 [メインテーマ]

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昨日は、世間では成人の日だったようです。

自分自身の成人式はといえば、当時は固定されていた1月15日、寒~~い印旛沼(千葉県)でカモの数を数えていました。

当時、大学の「野鳥の会」というサークルに身を置いており、また、成人式などなんの興味もなかったので、「水鳥調査の日」にあたっていたこの日、当然のように寒風吹きすさぶ水辺で涙・鼻水を流しながら、先輩たちと一緒にカウンター片手にスコープや双眼鏡をのぞき込んでいたのでした。


昨今の成人の日の報道を見ると、若い人たちは地元で同窓会気分で成人式に出るようですね。

高校を卒業して2年目、私立学校だったので友人も散らばっていた上、懐かしさというよりもあの時点での「今」しかなかった私は成人式で友達に会う、など考えもしなかったのでした。

その意味では、この先何になる、ということも考えず、ひたすら「今」を楽しみ、鳥を追いかけていたのがあの頃かもしれません。

自宅通学ではあっても、それまでよりは少しは行動も帰宅時間も自由になっていたあの頃・・・20歳になる、大人になる、という意味など考えもせず。

成人の日を迎える、成人になる、一日だけのことで何が変わる?誕生日ならまだしも、式に出ることに何の意味がある?・・・と、ちょっと斜に構えていたのかもしれません。
だからと言って、自分の20歳の誕生日にも、今日から大人だ!とか、何の感慨も持たなかったような気がします。


20歳と言えば、発達心理学者エリクソンによれば、アイデンティティー(自我同一性)を確立する重要な時期。
ちょうど大学生活をおくったこの時期に出会った人、身を置いた環境が私に与えた影響はおそらく大きかったと思います。

自分が何者であるか、何になりたいのか、どう生きたいのか、など深く考えたこともなかったこの時期・・・もしかすると正常な発達過程を踏んでいなかったかもしれません。
ただしそれは、早いか遅いかの違いで、その後に取り戻すこともできると思っていますが。


今年は実は3回目の成人・・・あの頃からまったく成長していない部分に愕然とすることもあります。

それが良いことか、そうでないか・・・答えが出るのは最期の時かもしれません。



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大和路を旅する [メインテーマ]

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6月6日から2泊3日で、大和路を旅してきました。

私が所属するNPO CULL カリタスカウンセリング学会が主催する、いわば大人の修学旅行です。

目的は、奈良~飛鳥~吉野を歩いて、日本人の心の原点、アイデンティティを探る、というもの。

初日の6日は、宿泊地の橿原神宮前駅から耳成山、藤原宮跡、香具山、本薬師寺、橿原神宮。

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二日目の7日は一路吉野を目指し、水分(みくまり)神社、金峯山寺、談山神社、飛鳥寺、岡寺、神武・持統天皇陵。

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そして最終日は早朝の橿原神宮から畝傍山のふもとで太極拳。

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朝食後、唐招提寺、薬師寺、聖武天皇陵、東大寺二月堂・・・と回って帰路につきました。

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大和路といえば古代史・・・天皇陵、寺社仏閣がそこここにあり、古墳と現代の家が軒を並べているところです。

こうした日本の歴史に関する知識は、実は私のこれまでの人生からすっぽり抜け落ちています(まったく関心がなく、勉強しなかったので・・・)。

よく、寺社仏閣に行くと何とも言えない清々しい気を感じると言われ、そんなことからパワースポットなどと言われたりもしますが、私はそういった「気」に対する感覚も非常に鈍い。

そんな私が旅した大和路・・・さて何か変化はあったでしょうか・・・。

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自分を友達に・・・ [メインテーマ]

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わかっているようで実は一番わからないのは「自分」かもしれません。

他人のことはよく見えて、あの人はああだ、この人はこうだ・・・あの人はこう考えてるからこんな行動をとるんだ・・・。

それを自分に置き換えたら?

自分のイヤなところ・・・とよく言いますが、じゃぁ同じことが友達の性格だったら?

案外何とも思わず、気にも留めない、赦せたりします。


友達が、自分に自信がない、とか、自分のことが好きになれない・・・なんて言ってきたらどうします?

何言ってるの!と、一生懸命その人の良いところを見つけて伝えてあげたり、素敵だよ、とか頑張ってるじゃない!、とか言ってあげたり、私はあなたのこと大好きよ、と言ってあげたりしませんか?

でも自分のことになると・・・どうですか?


自分に自信がなくなったり、自分のことがイヤになったりしたら・・・ちょっと離れて友達に置き換えて・・・そう、自分を友達だと思って、客観的に見てはどうでしょう?



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信頼感 [メインテーマ]

このところ考えていること・・・。

人間は自分が信頼されていない、とわかったとき、じゃぁ信頼されるように頑張ろう!と思うか、信頼されてないならいいや、と気持ちが離れてしまうか、二通りな気がする。

で、信頼されてないならいいや、と思う人も、根底では信頼されたい、というのがあるから事がややこしくなる。

エリクソンの人格形成論では、基本的信頼感が培われるのは0~2歳。
つまりひとりでは何もできない時である。

そしてその後の成長につれ、自立性や自発性が養われていく。

この過程で、自立性や自発的な行動が阻害されたりすれば、自分は信頼されていない感が一層強まるのではないだろうか?


私は後者の部類に入る。

母はいまだに私を信頼していない・・・気がする。





親は子の成長にあたり、失敗しないよう先回りしたり、より良い選択をさせようと誘導したり、子の判断を否定したりすることがある。

親心からしていることである。

しかしその結果、子は自分に自信が持てなくなったり、人任せになったり、まぁいいか、となったり・・・。


周りから信頼されていない、と感じる人は、信頼の経験がないから自分自身を信頼することもできなかったり、他者を信頼することもできなかったり・・・する。

どことなく心もとない感覚を持ちながら生きる。

どこかで腹をくくって問題を直視したり、自分の責任で事を運ぶことが必要である。

とはいえ、問題に真正面からぶつかるだけが能ではなく、ちょっと角度を変えてみることも時には大事。

これ、武術から学んだことです。



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虎の威を借る・・・? [メインテーマ]

近所にオープンした商業施設に、食事に行きました。

一応チェーン店なのかな?中華料理のそこそこのお店。

オープンが11月1日だったから、一か月半ほど経っています。

店員さんが何人もいて、動きがなんとなくぎこちなかったり、良く言えば初々しい・・・。

しばらくいると、なんとなく力量や人間関係が見えてきます。


まず、若い女性だけど、見ていて落ち着きがあって全体も良く見えているようだし、対応もそつがなくて良い感じのKさん。

名前から中国の人っぽい若い女性が3人。

日本の人みたいだけど可もなく不可もない女性が2人ほど。

白髪混じりの男性が1人・・・Tさん。

そして、全体を仕切っている感じで、お客さんの会計時にはレジに立つSさん。

このSさん、レジにいないときは、目配りをしながらあちこち動き回っています。

そしておそらくバイトと思われる女性たちに指示を与えているんですが、結構それが目に耳についてくる。

片づけ方とか、気配りの仕方とかを教えてるんですが、それってお客の前でやること?

そういうのは開店前とか、やるにしてももっとお客に気づかれないようにするべきじゃない?

白髪の男性Tさんは淡々と片づけをしたり、料理を運んだり・・・。

ずっと見ているとなんとなく、Sさんは、自分はできる、仕切ってるんだ、ということをパフォーマンス的に見せているように感じられてきました。

バイトさんへの指示は見え見えなんですが、入口でカップルがメニュー表を見ていても声をかけない・・・そこで一言、いらっしゃいませ!は?

あげくに、次に見ていたカップルを押し返すようにそのメニュー表を移動させている・・・。

う~ん、この人店長か?なんなんだ?

何カ月か後にもう一度このお店に来てみたいな・・・バイトみんな入れ替わってるかもね、と旦那さんと話しました。

会計時に見たら、責任者の名前はその人ではありませんでした・・・。



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懺悔 [メインテーマ]

ハスキーきなこと散歩中、ある場面に遭遇しました。

4才くらいの女の子の前にお母さんがしゃがみ込み、目線を合わせて何かお説教していました。

お母さんの胸元には赤ちゃんが抱っこされているようです(最近の抱っこ用グッズはそとから見えにくいですね)。

近くには幼稚園があるから、行きたくないとダダをこねたかな・・・それにしては制服を着ていないし、何も持っていないし。

普段着っぽいからお散歩途中で何かあったのかな・・・。

女の子は泣いてはいません。

気になりながら通り過ぎ、振り返ると、杖をついた年配のご婦人も遠巻きに眺めています。

声を荒げるわけではありませんが、お母さんは困る、みたいなことをこんこんと諭している様子・・・女の子はうなずいたり首を振ったり・・・。


振り返りながら、末っ子が幼稚園に入った頃のことを思い出しました。

真ん中の息子が小学校に上がり、末娘が入れ替わりに入園。

お姉さんもお兄さんも通っていて、送り迎えには自分もついて行っていた幼稚園・・・慣れているところだし、ようやく自分の番!と張り切ったいたのですが・・・。

幼稚園にはスイミングスクールがセットになっていて、全員やることになっていました。

姉・兄のは見ていましたが、いざ自分が入ってみると・・・これがイヤだったみたいです。

数回目からスイミングを嫌がるようになり、やがて登園拒否気味に。

その頃の私は、幼稚園には行くもの、スイミングがセットならやるべきもの・・・。

プールがある日はなだめたり、すかしたり、脅したり・・・無理やり連れて行こうとして娘が腕にかみついたこともあります。

今朝のお母さんのようにこんこんと諭したこともありました・・・娘はあの女の子のように、黙ってうなずいたり、首を振ったり・・・幼稚園を辞める、とまで言い出したり。

これらのやり取りはすべて家の中・・・母に知られまいという思いでした。

ある晩、眠っている娘の髪を掻きあげると、10円玉くらいの・・・円形脱毛症でした。

そんなにイヤだったんだ・・・そこまでイヤだったんだ・・・。

申し訳ない気持ちでいっぱいになり、次の日から幼稚園だけ行けばいいよ、プールは入らなくていいよ、ということになりました。

それからしばらくして夏休みになり、新学期になり、きっかけはわかりませんが、不思議なことにいつの間にかスイミングをまたできるようになって、そのまま年長も過ごして卒園しました。

土日や夏休みの間たびたび、上の2人と一緒に夫が近所のプールに連れて行ってくれたので、それも良かったのでしょう。

今はなくなってマンションになってしまいましたが、大きなリゾート風のプールで、流れるところや波もあったり、休みの日はもちろん、夫の帰りが早かったら夜行ったことも・・・娘もそこに行くのは全く嫌がりませんでした。

ちなみに私は全く泳げないのでそこには一度も行ったことがありません。
父親と子どもたちだけの世界でした。

大きくなってその頃のことを娘と話したら、スイミングのコーチが怖くて嫌だったとか・・・。

カウンセリングの勉強などをするようになったのは自分のためとはいえ、それよりずっと後・・・前回「人生やり直すとしたら?」という記事を書きましたが、やり直せるならこの時の、末娘とのプールバトルからやり直したいです。

娘よ、本当にごめん!これだけはやり直したい!



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不思議な出会い [メインテーマ]

いつも武術練習をしているお寺・・・広大な境内にはいろいろな人が行き来している。

そんな中に、一人の男性がいる。

年の頃は・・・中年。

小柄で・・・いつも酔っ払っているか、精神的な問題か、大声をあげながら片足を引きずるようにしてゆっくり歩きながら、時折通りかかる人にも叫んだり・・・。

からんできたりすることはないけれど、すれ違う人たちは目を合わせないように、道の反対によけたり、遠巻きにしたり、無視したり・・・。

私たち武術仲間の間では、動きからして空手か何かやってたんではないか、たぶんパンチドランカー(格闘技などで頭部にダメージを受け、脳障害を起こしている人)ではないか・・・とりあえず練習の動きを見せたりあまり刺激しない方がいいと言われていた。

私が犬の散歩で通りかかると、大型犬が苦手なのか、叫ぶのをやめて敬礼するような手つきで見送ったりして、警備員の人は、犬が苦手なんですよ、と言っていた。

誰が見ても、あまり関わりになりたくはない人だった。


ある日、練習をしていると、かなり離れたところでいつものようにその男性が上半身裸になり、大声で叫んでいた。

練習を終えて歩いていると、数十メートルは離れていたけれど、その男性が私たちの方を見て手を上げ、なんと抱拳礼(中国武術でやる、胸の高さで左手で右手の拳を包む礼)をしてきた。

もちろん私たちも抱拳礼を返した。



それからかなり経った今日、練習をしているとまたその男性が現れた。

遠くからでもその声で存在がわかる。

オジサン来たね~・・・あ~近づいてきちゃったよ~・・・

と思っているうちに、私たちが練習をしている近くまで来た・・・。

ん~どうなるんだろ~と思ったけれど、ふと見た時に目が合ってしまったので、片手を上げて挨拶した。

男性も片手をあげて挨拶を返してくれ、「シーッ」と言うように右手の人差し指を口に当てた。

私たちはそのまま練習を続けていたけれど、男性はそれまでの大声が嘘のように静かに辺りを歩き回ったり、何かを眺めたりしていた。

やがて、地べたに座り込んで、紙に何か書いている様子だった。

かなりの時間、そうやって何かを書いていた・・・左手にはグローブをはめたように何かを撒きつけていたので、右手だけで書くのは大変そうだった。

やがて私たちもそろそろ上がろうかという時、男性が手招きをした・・・視線から見て私に対してのようでもある・・・。

私?と自分を指差すと、そうそう・・・とうなづく。

師匠やあに弟子も一緒に男性に近づくと、紙を差し出してきた・・・さっきから書いていた紙。

「運動するのは健康に
いいことです。
強いね!
かっこいい!」

しっかりした、良い字!

裏には人の絵が描いてあって、「プロレス」の文字。

そうか、プロレスやってたんだ!

声に出しながら読んで、男性にありがとう、と言うと、男性も「ありがとう」

そして、おちょこで一杯やるマネをしながら、自分の頭を指差してクルクルと・・・。

そうか、アルコールで頭やられちゃったといいたいんだ・・・。

なんだか、せつなくて、嬉しくて・・・叫んでるだけみたいだけど、自分のことも周りのこともわかってるんだね・・・みんなが避けているオジサンが実はすごくいい人に思えて・・・。

帰りがけ、お互いに手を振って別れたけど、その後はまたいつものように意味不明なことを大声で叫びながら、フラフラと歩いていたおじさん・・・。

なんか、すごい人とお友達になってしまったかもと思ったひととき・・・。



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怒りも、悔しさも、嫉妬も・・・ [メインテーマ]

昨日はなんだか一日中、「感情」について考えた日でした。

昼間話した友人の言葉から、その人は感情をわきに置いて「考えて」行動しているな・・・と感じました。

感情をおさえて「考え」だけで行動していると、身体症状があらわれてきます。

「感じて」いることを相手にうまく伝えることも大事です・・・難しい時もありますが。


夜話した友人は逆に、自分の感情をすべて受け入れている人でした。


人間にはさまざまな感情があります・・・喜び、楽しさ、嬉しさ、愛、悲しみ、怒り、悔しさ、嫉妬・・・感情の曼荼羅と言われるほどにたくさんの感情があり、その感情があるからこその人間です。

そんな感情の曼荼羅を抱えた、まるごとの存在が自分です。

時にはその感情ゆえに苦しい時もあったり、やり場のない感情をもてあますこともあったり・・・。

怒りや嫉妬など、そのまま相手にぶつけてはまずいこともありますが、その感情をもつこと自体は決して悪いことではありません。

怒りがエネルギーになることもあるくらいです。

そのままぶつけることがまずい感情は、昇華させればいいだけです。


私自身、自分の感情にあまり目を向けずに生きてきました。

自分の中のさまざまな感情に本当に気づき、認められるようになったのは、武術を始めてからです。

武術の相手は自分を正面から、嘘偽りなく映しだしてくれる存在になります。

そのままの自分をぶつけたとき、否定することなく、それでいい、と受けとめてもらえて、自分の感情を自分でも受け容れることができます。


さまざまな感情が生まれるのは、何かに執着しているためでもある・・・執着し、とらわれているから、怒りや嫉妬も生まれる・・・。

執着をやめ、捨てたり、手放すことで、怒りや悲しみは軽減され、楽になることも確かです。

でも、そういったものを手放し、聖人のようになっても、人間味がなくなって面白くないんじゃないかな・・・。


参考 ≪手放すということ≫http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2006-10-22



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自由人 [メインテーマ]

人は、本来自由な生き物だと思います。

それが人間として生きる中で、他人を気にし、他人と比べ、周りからの評価や社会の中での役割・立場などにがんじがらめになり、自由を忘れてしまいます。

これが自分だ、と思っているセルフイメージも、実は周りから見られる自分を意識して作り上げたものだったり、他人に合わせることに一生懸命になって本当は自分はどうしたいのかわからなくなってしまったり・・・。

時には信仰などによって救われる人もいれば、逆にその信仰にも縛られてしまって自由をなくしたり・・・。


厄介なことです。


本音はどうよ?

どうしたい?

何がしたいの?


これを自分の中でしっかりわかっておくことは大切です。

心の中にある本音の想いと行動が同じなら、こんなに幸せで楽なことはありませんが、なかなかそうはいかないのも現実。

でも自分の本音をわかった上で周りにあわせた行動をするのと、本音に気づかず、あるいは本音を良くないこととして抑えて蓋をして周りに合わせるのとでは大違いです。

本音を大切にして自由に生きることと、周りにかまわずわがままに生きることとは違います。

本当に本音で生きている自由人と接していると、こちらも解放されてきます。

もしそういう人と接していて抵抗を感じるようなら・・・自分の心の中をチェックした方がいいかもしれません。


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なぜ私は・・・ [メインテーマ]

このところ、中国武術にはまっています。

この年でまさか出会えるとは思っていなかった世界。

公園で高齢者がやっている太極拳ではありません。

もうちょっときちんとモノになるまで、何をやっているかは内緒ですが・・・。

きっかけは確かに太極拳です。

でも、出会った師に恵まれていました。

たとえば公共の施設で、大人数対象の健康増進のための太極拳だったら、出会っていなかったかもしれない世界を見せてもらえました。

もともと中国武術に興味はありました・・・カッコいい、美しい・・・。

でもどこで習えるのかもわからず、ましてや私くらいの年齢の女性ではなおさら・・・。

そんな中で、友人に誘われて一念発起で始めた太極拳・・・。

習ううちにアンテナが働き始めたようで、今の出会いにつながりました。

闘い方も教わってます。

しかし、なぜ闘うか・・・こちらからむやみに相手に攻撃を仕掛けていくのではなく、無駄な闘いは避け、生き残るため、身を守るために技を使う・・・。

ここでようやく、私がなぜ「闘う」ということに惹かれてきたのか、繋がったような気がしました。

私は別に人を攻撃したいと思っていたわけではない、むしろ争うことは好きではない。

だからこそ、身を守るため、生き残るための術として、無意識の何かが拳法にアンテナを向けさせていたのかもしれない。

こじつけのようですが、なんとなく繋がりました。

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何がしたい? [メインテーマ]

人は無意識のうちに「好き」か「嫌い」か、「怖い」か「怖くない」か、というシンプルな原初感情で物事を判断しています。

自分が好きなこと、やりたいことだけをしていられたらどんなに楽しく、幸せでしょう!

でもそうはいかないから、皆、やりたいこと、やらなければならないこと、に優先順位をつけてこなして生きていきます。

そしてやりたいこと、好きなことは結局いちばん後回しになったりもするのですが、それが「大人」というものかもしれません。

自分のことだけをやっていると、たとえば主婦なら家の中のことがおざなりになったり、手抜き料理が増えたり・・・(まさに私のこと!?)

でも、「やらなければならないこと」だけに時間を取られて、「やりたいこと」はいつも後回し・・・それで終わってしまう人生ってどうなのよ?とも思うのですが。

結局うまく折り合いをつけてやっていくしかないのかもしれませんね。


スーパーで若いファミリーのダンナさんが、奥さんに向かって何の文句かわかりませんが「子どもじゃないんだから!」と連呼しているのを聞いて、「大人である」ってそんなにすごいことなのかな・・・とふと思ったのでした。

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生き甲斐があると・・・ [メインテーマ]

アルゼンチンタンゴのファン層というと、結構年配の方が多いようです。

60代から70代、80代の方がザラ。

2年くらい前、本場のアルゼンチンからのタンゴミュージカルが上演されて観にいった時のこと、終演後外に出ると、介護タクシーが待っていたり、車椅子の方や、手押し車を押しながら出てくる方がいたりで、びっくりしました。

これからの介護施設は、お遊戯や紙風船でのリハビリではなく、タンゴを聴いたり踊ったりの方がよほど効果的ではないかと、本気で思いました。

さて、平田耕治さんのコンサートに行った時も、終わってCDにサインを、となると、サインが終わって握手してもらう時のおばさまたちの嬉しそうなこと!

笑顔が輝き、声も華やいでいます。

あるファンのおばさまと話すと、数年前に体調を崩したけれど、平田さんのバンドネオンに出会ってからすっかり元気になった。
友達からも見違えるほど元気になったと言われる。

若い人たちから励まされている。

夢中になれるものがあるのは幸せ、何よりの薬、と実に楽しそうに語られます。

好きなものを見つけて、そのためにがんばれる・・・そのことが生きる張りになります。

若いアイドルグループ、韓流スター、そして若い音楽家・・・みんな素敵なエネルギーを与えてくれ、彼らを生き甲斐にする女性たちを元気にしてくれているようです。

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ベストポジション [メインテーマ]

一昨日、昨日と、立て続けに違う人からお誉めをいただきました。

私は子どもの頃から落ち着いているとか、しっかりしているとか言われてきました。

それが高じてリーダー的な役割を与えられることもしばしば。

確かに物事に動じないところは自分でも認めます。

私を誉めて下さった方も、そういうところを見て、「長」のつく立場があっていると・・・。

でもね、私は「長」がつくところに立つと、とたんに自分の持ち味を発揮できなくなってしまうんですよ。

私のベストポジションは3番目くらい。

あるいはもっとベストなのは、一人でやること。

要するに自由に動ける立場があっているようです。

「長」だと自分が動くよりも、まわりに指示を与えたり、まとめたりしなければならない。

私は全体を把握することは得意ですが、それで高みから指示するよりは、全体の中で自分が活かせるところを見つけて動く方が好き。

人はみんな、適材適所、ベストポジションというのがあると思います。

身の丈に合った、自分を活かせるところに身を置くことでいちばん輝ける。

無理せず、背伸びしすぎず、自分のペースで生きられるベストポジション・・・誉めていただいたことで再確認できました。

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君は幸せか? [メインテーマ]

夕飯の支度をしながらリビングに目をやると、居眠りをしているきなこが・・・。

下がっていく瞼と頭を落とすまいと必死に抵抗している・・・。

まるで眠ってはいけない、今寝たらだめ、と自分に言い聞かせるように、眠りに落ちそうになるとハッとしたように頭をもたげる。

そんなことを繰り返しながらついには睡魔に負け、フーッとため息をついて、負けたことにむしろホッとしたかのように眠る体勢に入る。

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時々薄眼を開けながら、キッチンの音や、頭のそばを歩きまわる足音を子守唄に、何を夢見ているのか・・・。

昼間歩いた散歩道、捕まえそこなった鳥や虫のこと、獲物と思ったら落ち葉だったこと・・・。

やがて身体をいっぱいに伸ばして、もう一度気持ち良さそうに眠りにおちていく・・・。

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きなこさん、あなたは幸せ?

聞いても応えるわけはなく、表情やしぐさから、多分この状況を嫌がってはいないな、とか、多分嬉しいんだろうな、とか想像するしかありません。

人間もそう。

幸せかどうかはその人でないとわからない・・・だからまず自分が幸せになって、それから周りの人が幸せかどうか考えないと。

自分が幸せでなかったら、幸せな時はどんな顔をするか、どんな話し方をするか、どんなしぐさをするか、わからないでしょ?

自分を犠牲にして人を幸せにしようなんて、はっきり言って無理。


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私は私である。 [メインテーマ]

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昨日の勉強会でテーマになった「私は誰?」。

いろいろ考えて結局行きつくのは、「私は私」。

「私は私」・・・当たり前のようでいて、とても大事なことです。

そして自分は何のために生きているのか、と考えた時、この「私は私」が大きな意味を持ってきます。

「私は私のために生きる」・・・

ひとつ間違うと、わがままでジコチュウととられてしまいますが、それとは違います。

自他を混合することなく、他者に誤った依存をすることなく、人と比べることなく、自分自身のブレない柱を持つ・・・それが「私は私。私は私のために生きる」ということだと思います。

そのブレない柱を持ち、自分を保って大事にして、初めて他者も真に大切にすることができるのではないでしょうか?

一見相手を思いやり、愛情を注いでいるようで、実は自分の思う通りにしようとしている、注いだ愛情に見返りがないと怒りに変わる・・・これも「私は私」がしっかり意識できていない結果だと思います。


「ゲシュタルトの祈り」という文章があります。

ゲシュタルト療法で有名なフリッツ・パールズの言葉・・・

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。


初めて聞くと、突き放した冷たいものに思えるかもしれませんが、実は互いに自律し、お互いを縛りあうことのない、自由な人と人との関わりが見えてきます。

「私は私」・・・ちょっと考えてみませんか?

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