道案内 [身辺雑記]
家人とタクシーに乗った時のこと。
運転手さんに向かって道案内・・・と思いきや、いきなり「首都高○○線に乗って、△△で降りてください」
運転手さんは「はい、かしこまりました」と答えましたが、もし私が運転手だったら、その先は?と不安になります。
そういえば、以前一緒に乗った時もそうでした。
タクシーが△△で首都高を降りると、二つ目の信号を右へ・・・その先を道なり・・・その先を左に・・・という具合に、住所やだいたいの方向を言うでもなく、いちいち曲がり方などを指示していくのです。
その様子に何とも言えない苛立ちを感じたので、今回は私が、「△△の先は最終的には◇◇駅の方面です。運転手さんもだいたいの目的地がわからないと不安ですよねぇ、どこに連れて行かれるんだろうと思っちゃいますよね(笑)」と冗談にまぎらせて付け加えました」
運転手さん・・・そうですね、だいたいの方向がわかると助かります。
それを聞いていた連れ合い、だって最近の運転手さん、◇◇駅と言ってもわからない人が多いんだから、と。
私、そうかもしれないけど、知ってる運転手さんもいるかもしれないし、場所によったら知ってるところなら近道もわかるかもしれないじゃない、と。
商売柄運転手さん、ニコニコしてるだけでしたけど・・・。
この一件が後日、ある気づきにつながるとは・・・。
それから数日後、友人とミュージカル「エリザベート」を観に行きました。
エリザベートのあらすじはこちらを ⇒ http://www.tohostage.com/elisabeth/story.html
若すぎたエリザベートに、国王を支える妻としての役割、国王と共に歩むということを示さなかった夫・・・。
何度も観てきた演目ですが、なぜか今回、《夫婦》、《ともに歩む》、というキーワードが頭に浮かびました。
先般の連れ合いの道案内を聞きながら浮かんだ苛立ちは、もしかしたら人生の中で、私に対して「そこ左、まっすぐ行って、そこを右」と、最終的にどこに着くのか見えないまま指示されていたことにつながるのかもしれない、と思ったのです。
もちろん人生は最終的な目標などあってないようなもの、曲がり角もUターンも、回り道もあるでしょう。
でも、夫婦が全く独立採算なら別として、夫が外でなにがしかの仕事をし、役割分担として妻が家庭のこと全般を夫の収入で賄うという共同体であるなら、夫がだいたいの方向としてどこに行こうとしているのか、パートナーは知らないのもおかしいと思ったわけです。
先々をたいして深く考えもせず、ともかく実家脱出を第一目標と考えて結婚した私は、ひとまずほっとしたまま30年が経ってしまいました。
今更ながら、連れ合いがどこへ行こうとしているのか、最終的にどのあたりにたどり着きたいのか、確かめたこともなかったな・・・もっと早くそれに気づいていたら、もうちょっといい奥さんになれていたかもな・・・などと思ったのでありました。
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