赦されるということ [カトネタ]
カトリックでは「赦しの秘跡」(いわゆる懺悔)というのがあります。
教会では復活祭を控えたこの時期、特にこの赦しの秘跡を受けることが勧められます。
今日はそのための特別なミサも行われました。
私も懺悔しなければならないことは山のようにありながらずっとサボっていましたから、久しぶりの「赦し」を受けに行きました。
カトリックでよく言われる「罪」は、泥棒をするとか犯罪を犯すとか、そんな大それたものばかりではなく、日常で経験する、心のどこかにささった刺のようにいつまでも引っかかっていたり、後悔を残していたり、良心の呵責を感じるようなものか・・・。
それを告白して「赦される」というのは、ある意味カウンセリングを受けるようなことかもしれません。
ずっと心の重荷になっていたことを吐きだして、神の代理である司祭から「赦されました。安心してお行きなさい」と言われることで心が軽くなる。
そして同じ過ちを犯さないよう(とはいえ繰り返してしまうのも人間ゆえの弱いところ)、新たな気持ちで歩みだす。
「赦す」とはなかったことにするのでも忘れるのでもない、起きてしまったことは変えられないけれど、その人が変わることを信じ、期待する気持ちが込められたもの・・・。
人を赦すのは難しいことですが、時として自分を赦せないことも多いものです。
でもそれは辛いこと・・・自分自身を受け容れるためにも、「安心してお行きなさい」の言葉は案外良いきっかけになるかもしれません。
それにしても、仕切り越しで顔は見えないとはいえ、普段から知っている司祭に懺悔するというのはちょっと気恥ずかしいもの・・・。
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ふむふむ。
わたしなんか、ためこむタイプなので、
赦しの秘跡、
いいかもしれません!!
でも、わたくしならば、
100キロぐらい離れた教会に行きたいなぁ…
ん?
今、思ったんですけど、
赦しの秘跡、
わたくし、自分のブログで、時々、やっているかもしれません☆
by トニー (2010-03-12 23:10)
トニーさん、100キロくらい離れた教会・・・そうですよね、だからでしょうか、他の教会から応援で来た司祭の方が、順番待ちの列が長くなってました^^
by michaela (2010-03-13 00:00)
赦し・・・そうなんですよねー。
このところ、「許せネー!」って言葉が飛び交い、「これは絶対許せませんよね!」って 同意を求められ(脅しに近い)「そりゃーまーねー。うーん、そー・・・・かもしれないけど・・ こっちは神様じゃないし・・・」って、ため息ついてた私に、ピッタリの記事ありがとう!!
by nobuko (2010-03-13 08:59)
nobukoさん、ありがとうございます。
結局この「赦され」体験が、人を赦せることにつながってくるような気がします。
自分を赦せないと、人のことも本当には赦せなかったり・・・。
by michaela (2010-03-13 09:24)
ご訪問有難うございました(^^)
そういえば、近くに「信者じゃなくても
どうぞっ!」って書いてある教会がある・・
教会って入った事無いのですが、ちょっと覗いて
見ようかと思いました。
by So☆me (2010-03-13 12:25)
So☆meさん、こちらこそご訪問ありがとうございます。
教会は基本的に信者ではなくても入れます^^ ぜひどうぞ!
カトリックとプロテスタントではだいぶ雰囲気が違うかもしれませんが・・・。カトリックは特に、入っても勧誘とか全くしませんから大丈夫ですよ(笑)。
by michaela (2010-03-13 13:12)
「7の77倍回許しなさい。」
とありましたね。
また同時に、
「犬に聖なるものを呉れてやるな、
豚に真珠を投げ与えるな。
彼らは足の下でそれを踏みにじり、
向きなってくるだろう。」
ともありました。
許すことと許さない事の判断は、
とても難しくいつも迷います。
「作為の罪、無作為の罪」の判断とも、
重なってきますしね。
難しいながらも、
常に公平でありたく思っています。
by 岩崎ナギ (2010-03-14 08:11)
岩崎ナギさん、コメントありがとうございます。
公平でいること、評価を加えないことは難しいですが大切なことですね。
私も中庸でありたいと思います。
by michaela (2010-03-15 08:12)